蝶花楼桃花の師匠は春風亭小朝!楽屋口への突撃で決まった弟子入りの一部始終

蝶花楼桃花の師匠は春風亭小朝!楽屋口への突撃で決まった弟子入りの一部始終

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蝶花楼桃花さんの師匠は誰なのか、気になって検索された方が多いのではないでしょうか。

先に結論をお伝えすると、師匠は落語家の春風亭小朝さんです。

ただ、名前を知るだけでは見えてこない話がいくつもあります。楽屋口への突撃で決まった弟子入り、師匠が作曲した出囃子、そろいの紋。

この記事では、落語協会と本人の公式サイトで確認できる事実を軸に、入門から真打昇進までの歩みと師弟のつながりを整理していきます。

蝶花楼桃花の師匠は春風亭小朝|入門から真打昇進までの歩み

まずは、師匠が誰で、どういう経緯で弟子入りしたのかを順に確認していきましょう。

  • 師匠は誰か入門はいつか
  • 弟子入りは楽屋口への突撃
  • 入門先に選んだ二つの理由
  • 前座名ぽっぽに込めた意味
  • 二ツ目から真打までの歩み

師匠は誰か入門はいつか

蝶花楼桃花さんの師匠は、落語家の春風亭小朝さんです。

落語協会の公式サイトにある芸人紹介ページには、2006年11月に春風亭小朝へ入門したと明記されています。本人の公式サイトのプロフィールにも「春風亭小朝に入門」とあり、協会側と本人側の一次情報が一致しています。まとめ記事や伝聞ではなく、双方がそろって公表している内容です。

桃花さんは東京都の出身で、本名は高橋由佳さん。誕生日は5月13日と公表されていますが、生まれた年は落語協会のページにも公式サイトにも記載がありません。

高座名が何度も変わってきた人でもあります。前座では「ぽっぽ」、二ツ目では「ぴっかり☆」、そして真打で「蝶花楼桃花」。三つの名前を通ってきたので、どの時期を知っているかによって呼び名の印象が変わります。師匠を調べようとして名前の変遷でつまずく方が多いのは、このためです。

先に、入門から真打昇進までの流れを一覧にしておきます。

師匠 春風亭小朝さん(落語協会所属)
入門 2006年11月 春風亭小朝に入門
初高座 2007年2月11日 沼津「小朝・正蔵二人会」/演目は狸の札
前座 2007年6月 前座となる 前座名「ぽっぽ」
二ツ目 2011年11月1日 二ツ目昇進 「ぴっかり☆」と改名
真打 2022年3月21日 真打昇進 「蝶花楼桃花」と改名
出囃子 仙桃(せんとう) 春風亭小朝さん作曲
光琳蔦

入門から真打まで15年あまり。ここからは、この年表の中身を順に見ていきます。

弟子入りは楽屋口への突撃

師匠が決まるまでの経緯が、なかなか強烈です。

雑誌『GOETHE』のインタビューで、桃花さんは小朝さんの高座を初めて見たときの印象を「大きな赤ちゃんが出てきたのかと思いました」と振り返っています。落語そのものにも引き込まれたそうで、「言葉が淀みなく出てくる。しかも、その言葉のすべてが頭の中にすっと入ってきて。気が付けば大笑いしていました」と語っています。

とはいえ、弟子入りの作法など分かりません。桃花さんが取った手段は、小朝さんが出演する独演会を調べ、昼夜二回公演の合間を狙って楽屋口へ向かうというものでした。

紹介者も段取りもないまま、スタッフに「弟子入りです」と伝えたのが始まりでした。

現れた小朝さんは肌着にサンダルという格好で、「ごめんね、ごめんね」と言いながら出てきたといいます。そして「君、落語やりたいの?」と笑ったそうです。

舞台袖でのやりとりが、その場の空気を決めました。「君はなに、名人とかになりたいの?」と問われた桃花さんは、「名人は目指しません。私はただ落語がやりたいんです」と答えたと明かしています。

その答えを聞いた小朝さんは、マネージャーに「この子、取るよ」と告げたといいます。

落語家への弟子入りは、何度も通って断られ続けるものだと語られることが多いものです。ところがこの日は、公演の合間の短いやりとりで話が決まりました。桃花さんは翌日からもう現場に入っています。

入門先に選んだ二つの理由

数いる落語家のなかで、なぜ小朝さんだったのか。桃花さんは理由を二つ挙げています。

一つは「女性を弟子として育ててくれそうな先進性」。もう一つは「芸に惚れ込み生涯付いていけるカリスマ性」です。芸への憧れだけでなく、自分を育ててくれる相手かどうかを冷静に見ていたことになります。

「先進性」という言葉が出てくる背景には、入門したころの落語界の空気があります。演芸サイトのインタビューで桃花さんは、当時は身内にも「女は認めない」という師匠がいたと話しています。客席にも「女は聞かない」と言ってあからさまに席を立つ人がいたそうです。

つまり、女性が弟子入りできる師匠かどうかということ自体が、選ぶ前の大きな条件でした。誰のところへ行ってもいい、という状況ではなかったわけです。

師匠側の経歴も見ておきます。落語協会の公式ページによると、春風亭小朝さんは1955年3月6日生まれの東京都出身。1970年に5代目春風亭柳朝さんへ入門し、1976年に二ツ目、1980年に真打へ昇進しています。この真打昇進は36人抜きの抜擢だったと伝えられています。

抜擢で世に出た人が、女性の弟子を取る側に回った。その順番を知っておくと、桃花さんが挙げた「先進性」という言葉の重みが少し変わって見えてきます。

前座名ぽっぽに込めた意味

入門から前座になるまでには、半年ほどの間があります。落語協会の記載では、前座となったのは2007年6月。前座名は「ぽっぽ」でした。

前座に上がる前の2007年2月11日には、静岡・沼津で開かれた「小朝・正蔵二人会」で初高座を踏んでいます。演目は「狸の札」。師匠の会に連れて行かれての初舞台だったことが、公式サイトの年表から分かります。

「ぽっぽ」という名前の由来も、本人が明かしています。入門した日が世界平和記念日にあたっていたことから、平和の象徴である鳩にちなんだ名前を授かったといいます。

弟子入りが決まった翌日には、もうこの名前が付いていました。

前座の日々については、あまり軽い言い方をしていません。「ほぼ365日と言っていいほど、毎日が修行なので自由な時間は皆無でした」と語り、親友の結婚式にも出席できなかったと明かしています。

寄席の楽屋で師匠方の世話をし、太鼓を叩き、着物をたたむ。前座はそうした裏方仕事に追われる立場で、高座に上がれる時間はごくわずかです。突撃で入門を勝ち取った日の勢いとは、まったく別の種類の時間が四年半近く続いたことになります。

しかも当時は、女性の落語家に対する風当たりが今より強かった時期です。楽屋にも客席にも受け入れない人がいたと本人が語っているとおりで、修行の厳しさとは別の負荷もあったことになります。「ぽっぽ」という柔らかい名前の裏側には、そうした年月が重なっています。

二ツ目から真打までの歩み

2011年11月1日、桃花さんは二ツ目に昇進し、高座名を「ぴっかり☆」と改めます。星のマークが入る高座名は珍しく、この名前で覚えている方も多いはずです。

二ツ目時代は、賞レースと自主公演の両輪で名前を広げた時期でした。公式サイトの年表によると、NHKの新人向け落語コンクールには2012年・2016年・2020年と三度決勝に進出しています。浅草の新人賞も二ツ目時代に受賞していますが、賞の名称と受賞年については公式サイトの中でも表記が一致していないため、ここでは「二ツ目時代の受賞」とだけ記しておきます。

自主公演の量も相当です。2013年には10日間連続の独演会「ぴっかり☆十番勝負!Plus One」を開催し、同じ年に春風亭一之輔さんとヨーロッパ6か国を巡演しています。夏のツアーは国内数都市に加え、グアムやフランクフルト、オーランドでも開かれました。

そして2022年3月21日、真打に昇進します。

入門から真打昇進まで、15年4か月かかっています。

落語協会の真打昇進は年功が基本で、二ツ目の在籍がおよそ10年から15年に及ぶことも珍しくありません。桃花さんの歩みも、抜擢で駆け上がったというより、寄席の順番を踏んで積み上げた形でした。派手な入門の仕方とは対照的な、長い助走期間だったと言えます。

蝶花楼桃花が師匠から受け継いだもの|一門の系譜と亭号の話

ここからは、師弟のつながりが形として残っているものを見ていきます。

  • 稽古のつけ方と厳しい言葉
  • 出囃子と紋に残る師弟の縁
  • 途絶えていた亭号の復活
  • 師弟の系譜をさかのぼる
  • 蝶花楼桃花の師匠についてまとめ

稽古のつけ方と厳しい言葉

師弟の関係を伝える言葉として、桃花さんが繰り返し紹介しているものがあります。小朝さんの「駄目だと思ったら、どんなにキャリアを積んでいても辞めてもらうから」という一言です。

入門を許した日に「この子、取るよ」と言った人が、同時にこの条件も示していたことになります。弟子入りできたことがゴールではなく、そこからずっと見られ続けるという意味です。

稽古のつけ方も独特だと語られています。小朝さんは事前に演目を伝えず、直前になって「きょうはこのネタをやるように」と指定してくるのだそうです。

指定が直前ということは、どのネタを言われても対応できる状態にしておかなければなりません。桃花さんはこれを「常に稽古を続けていなさい」というメッセージとして受け取ったと話しています。手取り足取り教える形ではなく、弟子の側に日々の準備を求めるやり方です。

真打昇進から4か月で主任興行を務めることになったとき、桃花さんは「ここまで育てていただいた師匠・小朝をはじめ諸先輩方」と関係者への感謝を口にしています。同時に「身が引き締まる思い…を通り越してプレッシャーに押しつぶされそうだ」とも語りました。

厳しい言葉と、直前に投げられる課題。それを15年受け続けた先に、この主任興行があったことになります。

出囃子と紋に残る師弟の縁

師弟の関係は、高座の外側にも形として残っています。分かりやすいのが出囃子と紋です。

出囃子は「仙桃(せんとう)」といいます。落語協会の公式ページにも本人の公式サイトにも、この曲が春風亭小朝さんの作曲であると記されています。

弟子が高座へ上がるたびに鳴るのが、師匠の書いた曲だということです。

出囃子は落語家にとって、名前と同じくらい個人と結びついたものです。既存の古典曲から選ぶ人が多いなかで、師匠が新たに書き下ろした曲を使っているという点は、それだけで関係の近さを物語ります。ちなみに小朝さん自身の出囃子は「三下りさわぎ」で、こちらは弟子とは別の曲です。

紋も見逃せません。桃花さんの紋は「光琳蔦」で、これは小朝さんの紋とまったく同じものです。落語協会の芸人紹介ページで両者を並べると、同じ紋の名前が並んでいることが確認できます。

落語の世界では、一門の紋を弟子が受け継ぐこと自体は特別な話ではありません。ただ、師匠が誰かを調べたい人にとっては、公式に記載された紋の一致がいちばん分かりやすい裏づけになります。噂や伝聞をたどらなくても、協会の芸人紹介ページを二つ開くだけで確かめられるからです。

高座名は三度変わりました。それでも、出囃子と紋という二つの一次情報は入門したときのまま残っています。

途絶えていた亭号の復活

2022年3月の真打昇進で、桃花さんは「春風亭」から「蝶花楼」へと亭号を変えました。師匠と同じ一門でありながら名字にあたる部分が変わったので、ここで混乱する方が多いところです。

公式サイトのプロフィールには、この改名の意味がはっきり書かれています。七代目・蝶花楼馬楽さんの没後に途絶えていた、歴史ある亭号を復活させたというものです。七代目は2019年3月13日に亡くなったと伝えられており、その3年後に名前が戻った形になります。

真打昇進の名前として、消えかけた亭号を選んだことになります。

昇進後の動きは、公式サイトの年表を追うだけでも密度があります。2022年3月から5月にかけて都内5軒の寄席で昇進披露興行を行い、連日の大入り。同年7月には浅草演芸ホールで、昇進からわずか4か月という早さで主任興行を務めました。

同じ年の9月には、女性落語家として史上初めて「笑点」のレギュラー大喜利に出演しています。

その後も、2023年3月に浅草演芸ホールで全出演者が女性芸人という主任興行「桃組」を開催し、同年10月には鈴本演芸場で初の主任興行。2024年7月には池袋演芸場で31日間連続のネタおろし公演「桃花三十一夜」を開いています。

「桃組」の狙いについて、桃花さんはこう語っています。それまでは「女性であること」だけが個性として見られてきたけれど、女性の芸人のなかにもいろいろなタイプの個性があると世間に知らせたかった、というものです。入門のときに「女性を弟子として育ててくれそうな先進性」で師匠を選んだ人が、今度は自分で場をつくる側に回ったことになります。

師弟の系譜をさかのぼる

師匠の師匠まで視野を広げると、「蝶花楼」という亭号の見え方が変わってきます。

落語協会の公式ページによれば、小朝さんが入門したのは5代目春風亭柳朝さんです。桃花さんから見れば大師匠にあたる人です。

その柳朝さんは、1950年3月に5代目蝶花楼馬楽さんへ入門し、前座名は「小照」だったと伝えられています。5代目蝶花楼馬楽さんは、のちに8代目林家正蔵を襲名した林家彦六さんその人です。1962年5月に真打となり、5代目春風亭柳朝を襲名したとされています。

つまり系譜をさかのぼると、蝶花楼という亭号は一門にとって縁のない名前ではありません。ただし、桃花さんがこの亭号を選んだ理由として一門の系譜を挙げた記録は確認できませんでした。公式に書かれているのは、あくまで「途絶えていた歴史ある亭号を復活させた」という説明までです。

系譜の部分は落語協会の公式ページとWikipediaなどの記述を突き合わせたもので、一次資料で裏づけられているのは「小朝さんの師匠が5代目春風亭柳朝さんである」という一点になります。それより前の代については、伝えられている話として受け取っておくのが安全です。

蝶花楼桃花の師匠についてまとめ

  • 蝶花楼桃花さんの師匠は落語家の春風亭小朝さんで、落語協会と本人の公式サイトの双方に記載がある
  • 入門は2006年11月。初高座は2007年2月11日の沼津「小朝・正蔵二人会」で、演目は「狸の札」だった
  • 弟子入りは独演会の楽屋口へ突撃する形で、「名人は目指しません」という答えの後に「この子、取るよ」と決まった
  • 小朝さんを選んだ理由として、女性を弟子として育ててくれそうな先進性と、生涯付いていけるカリスマ性を挙げている
  • 前座となったのは2007年6月で、前座名「ぽっぽ」は入門日が世界平和記念日だったことから鳩にちなんで付けられた
  • 二ツ目昇進は2011年11月1日で、このとき「ぴっかり☆」と改名している
  • 真打昇進は2022年3月21日。入門から15年4か月で「蝶花楼桃花」となった
  • 出囃子「仙桃」は小朝さんの作曲、紋は師匠と同じ光琳蔦で、いずれも公式に記載がある
  • 「蝶花楼」は七代目・蝶花楼馬楽さんの没後に途絶えていた亭号で、真打昇進を機に復活させた
  • 小朝さんの師匠は5代目春風亭柳朝さんで、柳朝さんは5代目蝶花楼馬楽さんに入門したと伝えられている
  • 生年は落語協会にも公式サイトにも記載がなく、公表されているのは誕生日の5月13日だけである

蝶花楼桃花さんの師匠を調べると、答えそのものは一行で終わります。春風亭小朝さん。それ以上でも以下でもありません。

面白いのは、その一行の裏側に残っているものの多さです。高座に上がるたびに鳴る出囃子は師匠が書いた曲で、着物に入る紋は師匠と同じ。名前は三度変わりましたが、師匠との結びつきを示すものは形を変えずに残っています。

そして「駄目だと思ったら辞めてもらう」と言われた弟子が、真打昇進から4か月で浅草の主任を務め、女性で初めて「笑点」の大喜利に座りました。師匠が誰かという問いから入ると、そこまでの15年が一本の線でつながって見えてきます。

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