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本並健治さんの前妻について調べると、名前の表記からしてばらばらです。
先に結論を書くと、前妻は一般女性で、氏名も職業も公表されていません。
そして検索候補によく並ぶ「略奪愛」という話は、時系列を並べると成り立たなくなります。
この記事では、確認できることとできないことを分けたうえで、離婚から再婚までの流れを整理していきます。
目次
本並健治の前妻は一般女性|公表されていない情報
まずは、前妻についてどこまでが確認できる話なのかを見ていきましょう。
- 前妻について確認できること
- 名前の表記が3つに割れる
- モデル説はどこから来たか
- 結婚した年も出典がない
- 息子2人が生まれた20年
前妻について確認できること
最初に、検索された疑問へ直接お答えします。
本並健治さんの前妻は一般女性で、氏名も職業も公表されていません。
メディアに登場したことがなく、顔写真も出ていません。結婚を発表する記者会見のようなものも行われていないため、公的な記録として残っているものがほとんどないんですね。
はっきりしているのは、2人のあいだに息子が2人いることくらいです。
先に、分かっていることと分かっていないことを一覧にしておきます。
| 前妻の立場 | 一般女性。メディアに出た記録がない |
| 氏名 | 公表されていない(ネット上の表記は3通りに割れている) |
| 職業 | 公表されていない。「モデル」説は根拠が示されていない |
| 顔写真 | 公表されていない |
| 結婚した年 | 1991年とする記述があるが出典なし |
| 子供 | 息子が2人(1993年生まれ・1995年生まれ) |
| 離婚した年 | 公表されていない。2012年頃までにとされる |
| 離婚理由 | 公表されていない |
この表のとおり、確定しているのは「一般女性であること」と「息子が2人いること」だけです。順に見ていきます。
名前の表記が3つに割れる
まず引っかかるのが、名前の書かれ方です。
ネット上では「美千代」「美代子」「美千子」という3つの表記が混在しています。
同じ人物を指しているはずなのに、記事によって漢字が違うんですね。しかもどの記事も、どこからその名前を得たのかを書いていません。
上位に出てくる個人ブログの1つは、この点を正直に認めています。「一般人で顔画像や年齢などの詳細は明らかにされていません」と前置きしたうえで、ネット上でこう噂されている、という書き方をしていました。つまり書いている側も、確かな出どころがないことを分かったうえで並べている状態です。
同じことは息子さんたちの情報にも起きています。名前も生年月日も、勤め先まで具体的に書かれているのに、根拠として示されているのは別のサイトの引用だけ。ある記事にいたっては「もしかしたらこの方ではないかもしれません」と、記事の中で自ら断っていました。
家族の情報が細かくなればなるほど確からしく見えますが、実際には確度が下がっていく。前妻の名前をめぐる状況も、まさにその典型といえます。
報道機関が実名を出した形跡は、調べた範囲では見つかりませんでした。芸能人ではなく一般の方ですから、そもそも報じる対象になっていなかったと考えるのが自然でしょう。この記事でも、前妻の氏名については断定しないでおきます。
モデル説はどこから来たか
もう1つ、よく見かけるのが「前妻はモデルだった」という説です。
ただ、この説を唱えている記事自身が、最終的に否定しています。
上位に入っている記事をたどると、話の組み立て方が見えてきます。「サッカー選手といえばモデルと結婚する人が多い」という一般論から入り、そのうえで「どうやらモデルではないようですね」と結論づけているんです。
つまり、根拠のある情報として出発したわけではありません。職業の傾向から連想されただけの話が、見出しとして一人歩きしている形です。この構図は、名前の表記が割れている件とまったく同じでしょう。
なぜ本並さんに限ってこの手の想像が働くのか、という理由もありそうです。本並さんは彫りの深い顔立ちで知られていて、丸山さんが昔の写真を公開したときには「さすが浪速のイタリアーノ」といった反応が集まりました。
日本代表のゴールキーパーで、見た目にも華がある。その人物像から「相手もきっと華やかな職業だろう」という連想が生まれ、それらしい見出しになっていったのでしょう。
ただ、連想は情報ではありません。本並さん自身が前妻の職業について語った記録は、調べた範囲では見当たりませんでした。
結婚した年も出典がない
結婚した時期についても、事情は変わりません。
複数の記事が「1991年に結婚」と書いていますが、いずれも出典を示していません。
1991年といえば、本並さんが松下電器でゴールキーパーを務めていた頃にあたります。Jリーグ開幕の2年前で、日本サッカーがプロ化に向けて動いていた時期ですね。
その年に結婚したという話自体は、時期としては不自然ではありません。ただ、不自然でないことと、確認できることは別の話です。
はっきりしているのは、1993年に長男が、1995年に次男が生まれているという点だけです。この2つの年から逆算すれば、遅くとも1990年代前半には家庭を持っていたことになります。
年の特定にこだわるより、そこから20年ほど続いた結婚生活があった、と押さえておくほうが確かでしょう。
息子2人が生まれた20年
前妻と過ごした時期は、本並さんのキャリアと丸ごと重なっています。
長男が生まれた1993年は、Jリーグが開幕した年でした。
本並さんは1987年に松下電器へ加入し、そのままガンバ大阪の守護神としてゴールを守っていました。翌1994年5月29日には、キリンカップのフランス戦で日本代表デビューも果たしています。
次男が生まれた1995年も、まだ現役の真っただ中です。その後1997年にヴェルディ川崎へ期限付き移籍し、東京ヴェルディ1969で2001年まで現役を続けました。
つまり前妻は、選手としていちばん忙しい時期の本並さんを支えながら、2人の息子を育てていたことになります。
引退後、本並さんは京都産業大学や高校でコーチを務めるようになります。指導者としての道を歩み始めた頃までは、まだ婚姻関係が続いていたとみられます。
その20年ほどの生活について、当事者が語った記録は残っていません。
本並健治が前妻と離婚した時期|略奪愛説の検証
ここからは、離婚と再婚をめぐる話を時系列で見ていきます。
- 離婚の時期は公表されていない
- 略奪愛と言われた理由
- 時系列では成立しない
- 丸山桂里奈との再婚まで
- 本並健治の前妻についてまとめ
離婚の時期は公表されていない
離婚についても、発表は行われていません。
離婚の時期も理由も、本並さんの側から語られたことはありません。
複数の記事が「2012年に離婚」と書いていますが、これも出典はありませんでした。前妻が一般の方である以上、離婚を公表する義務も理由もないので、当然といえば当然です。
ただ、時期を絞り込む手がかりはあります。本並さんは2012年8月、女子サッカーのスペランツァFC大阪高槻で監督に就任しました。
上位の個人ブログは、この就任の時点ですでに離婚が成立していたとしています。就任前後に離婚が話題になった形跡がないことも、そこそこ前に整理がついていたことをうかがわせます。
本並さんは2003年頃から京都産業大学や高校でコーチを務め、指導者としてのキャリアを積み重ねてきました。スペランツァFC大阪高槻の監督就任は、その延長線上にある大きな一歩です。新しい仕事を引き受けるタイミングで家庭の形が変わっていた、という読み方はできます。
ただ、それも状況からの推測にすぎません。この記事では「2010年代前半までに離婚していたとみられる」というところまでにとどめます。
略奪愛と言われた理由
前妻の話になると、必ずと言っていいほど出てくるのが「略奪愛」という言葉です。丸山桂里奈さんが現れたことで離婚した、という筋書きですね。
この話が広まった理由ははっきりしています。離婚の時期とされる2012年と、丸山さんがスペランツァFC大阪高槻に加入した年が、同じ2012年だからです。
同じ年に「離婚」と「出会い」が並ぶ。それだけで、順番を入れ替えた物語が作れてしまいます。しかも監督と選手という関係ですから、想像を広げやすい材料も揃っていました。
さらに再婚が19歳差だったことも、話に火をつけました。年の差だけで注目される組み合わせですから、背景を勘ぐる書き込みも出てきます。
もうひとつ効いているのが、離婚の事情が一切明かされていないことです。空白があると、人はそこを埋めたくなります。前妻の側から何も出てこないぶん、想像だけが自由に育っていったわけですね。
ただ、こうした話には共通点があります。前妻側の証言も、本並さんの説明も、一切出てきていないという点です。
時系列では成立しない
では実際のところ、時系列はどうなっているのでしょうか。
丸山桂里奈さんが同クラブに在籍したのは、2012年から2016年までの4年以上にわたります。
その間、本並さんは監督でした。監督としての任期は2012年8月から2016年12月までなので、2人はほぼ同じ期間をクラブで過ごしたことになります。
問題はその先です。丸山さんは2016年9月に現役を引退し、その後タレントとして活動を始めました。つまりクラブを離れてからも数年が経っています。
そして本人が語っているのは、恋愛対象として意識し始めたのは2020年に入ってからだという内容でした。告白したのも丸山さんのほうです。
本並さんは当時をこう振り返っています。「コロナでしゃべれなかったり、離れ離れというのもあって、そこで気持ちの部分は近寄っていった」。
離婚したとされる時期から交際が始まった2020年まで、およそ8年が空いている計算になります。
この空白がある限り、略奪愛という説明は成り立ちません。上位の個人ブログも、同じ結論に達していました。就任時点ですでに離婚していたこと、交際開始が2020年であることの2点を挙げて、略奪愛ではないとしています。
丸山桂里奈との再婚まで
再婚までの流れも整理しておきます。
婚姻届が提出されたのは2020年9月4日でした。
発表の仕方は、かなり変わっていました。翌9月5日に開かれた東京ガールズコレクションのステージにシークレットゲストとして登場し、ウエディングドレスとタキシード姿で結婚を明かしたんです。牧師役を務めたのは前園真聖さんでした。
ちなみに、正式なプロポーズの言葉はなかったそうです。本並さんが丸山さんのご両親の前で結婚の意思を伝えた形で、丸山さん自身は「自分の中ではまだプロポーズされたとは思っていない」と話していました。
その後2023年2月21日には、丸山さんが第1子となる女の子を出産しています。前妻との間に生まれた息子2人にとっては、30年近く離れた妹ということになります。
本並さんは再婚後、子育てについて語る機会が増えました。娘さん中心の生活になったこと、体力を保つために毎日走り込んでいることなどを明かしています。
そのなかで、こんな一言も残しています。「若いころだったら仕事が忙しくて、家で子どもとゆっくり過ごす時間ももてなかったのでは」。前妻と過ごした20年について、本人が触れたと読める数少ない発言かもしれません。
本並健治の前妻についてまとめ
ここまでの内容を整理します。
- 前妻は一般女性で、氏名・職業・顔写真はいずれも公表されていない
- ネット上の名前は「美千代」「美代子」「美千子」と3通りに割れており、出典がない
- 「モデル」説は、それを書いた記事自身が最終的に否定している
- 結婚は1991年、離婚は2012年とする記述があるが、どちらも出典がない
- 前妻との間に息子が2人おり、1993年と1995年に生まれている
- 丸山桂里奈さんとの交際開始は2020年で、離婚とのあいだに約8年の開きがある
前妻について分からないことが多いのは、隠されているからではありません。もともと一般の方で、報じる対象にされていなかったからです。
その空白を埋めるように広まったのが、名前の表記違いであり、モデル説であり、略奪愛という筋書きでした。時系列を並べてみれば、最後のひとつは成り立たないことが分かります。分からないことを分からないままにしておくのも、ひとつの誠実さだといえそうです。

