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映画『火口のふたり』でキネマ旬報ベスト・テンの主演女優賞に輝き、大河ドラマ『光る君へ』でも存在感を見せた女優の瀧内公美さん。凛とした佇まいと確かな演技力から、どんな場所で育ったのか、実家はどこなのか気になった方も多いのではないでしょうか。
瀧内公美さんの実家は富山県にあり、報道では高岡市出身と紹介されています。
本人は実家について「夜遅くなると信号が点滅しはじめるような場所」と語っており、2024年の元日には帰省中の実家で能登半島地震に遭ったことも明かしています。
この記事では、瀧内公美さんの実家の場所や周りの環境、実家で過ごした日々のエピソードを、本人の言葉や報道をもとに整理します。
目次
瀧内公美の実家は富山県高岡市|田舎町で育った18年間
- 実家は富山県高岡市
- 信号が点滅する田舎町
- 漁港の近くで祖父が魚を買う家
- 映画館まで車で20〜30分
- 北日本新聞を読み続ける実家
まずは、実家の場所と、瀧内さんが18歳まで過ごした地元の環境を見ていきます。
実家は富山県高岡市
瀧内公美さんは1989年10月21日生まれ、富山県出身の女優です。2012年に本格的に芸能活動を始め、2014年の映画『グレイトフルデッド』で主演デビューを果たしました。
実家と地元について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 出身地 | 富山県高岡市(報道による) |
| 実家の周り | 夜遅くなると信号が点滅する田舎町、電車は1時間に1本 |
| 実家の場所 | 漁港の近くで、高台に近い家(詳しい住所は非公表) |
| 暮らし | 父は単身赴任、母と祖父との3人暮らし |
| 地元にいた期間 | 18歳まで。大学進学で上京 |
| 今の関わり | 頻繁に帰省し、北日本新聞社のブランド・アンバサダーも務める |
瀧内さんの出身地は、富山経済新聞や北日本新聞、マイナビニュースなどの報道で「富山県高岡市出身」と紹介されています。本人がインタビューで話すときは「富山」と表現することが多く、市町村名を自ら細かく語ることはあまりありません。
ネット上には実家のある地区名まで挙げる記事もありますが、本人が明かした情報ではありません。この記事では、実家は富山県高岡市周辺にあり、詳しい場所は公表されていないものとして扱います。
信号が点滅する田舎町
瀧内さんは、実家のある地元の様子を印象的な言葉で語っています。2024年7月の文春オンラインのインタビューでは「実家は富山の田舎のほうで、夜遅くなると信号が点滅しはじめるような場所だったんです」と話しました。
上京したばかりの頃は、そのギャップに驚いたそうです。「だから24時間営業のコンビニを見ただけで、『東京は夜でも明るいんだ』って感動して」と振り返っています。
AERA dot.のインタビューでも、電車は1時間に1本という田舎町だったと語っています。夜は静かで、移動は車が中心という環境が、瀧内さんにとっての「実家のある町」の原風景のようです。
漁港の近くで祖父が魚を買う家
AERA dot.の記事では、瀧内さんの実家は「漁港の近く」と紹介されています。海が近い土地柄らしく、家には行商の人がよく訪れていたそうです。
瀧内さんは「行商のおばさんが家によく来て、祖父が魚を買っていました」と話しています。行商から新鮮な魚を買うという、海の町ならではの暮らしが実家の日常でした。
子どもの頃の瀧内さんは、父が単身赴任をしていたため、母と祖父との3人で暮らしていました。祖父と同じ家で過ごした時間も、実家の思い出として大切に語られています。魚を囲む食卓や、行商の人が出入りするにぎやかな玄関先が、瀧内さんの子ども時代の風景だったのでしょう。
映画館まで車で20〜30分
実家の近くには映画館がなく、映画を見ることは特別なイベントだったそうです。AERA dot.のインタビューでは「田舎で近くに映画館なんてないので、車で20~30分くらいかけてショッピングモールまで行って」と話しています。
それでも、映画好きの母と週に1回くらいは映画を見に出かけていたといいます。「映画を見るという行為は、とても特別なことだったんです」という言葉からは、実家から映画館へ向かう時間そのものが楽しみだった様子が伝わってきます。
一方で、高校生になると、車での移動とショッピングモールしかない環境に物足りなさも感じていたようです。週刊FLASHのインタビューでは「退屈でしかなくて」と振り返り、東京への憧れを強めていったことを明かしています。
2025年のORICON NEWSのインタビューでも「富山で生まれ育ったのですが、地元にはミニシアターがなかったんです」と話しており、映画に本格的にのめり込んだのは上京後の大学時代だったそうです。
北日本新聞を読み続ける実家
瀧内さんの実家は、富山の地元紙・北日本新聞をずっと購読しているそうです。2025年3月、瀧内さんは北日本新聞社のブランド・アンバサダーに就任しました。
就任を伝える記事では「私も小学生のころ、1面に載ったことがあるんですよ」と、子どもの頃の思い出も明かしています。地元紙を通じて、実家と富山とのつながりが今も続いていることが分かります。
記事によると、瀧内さんは今も頻繁に帰省しているそうです。上京して長い時間がたっても、実家のある富山は特別な場所であり続けています。
瀧内公美の実家のエピソード|上京と能登半島地震
- 実家を離れて東京の大学へ
- 実家に帰りたいと思った時期
- 帰省中に能登半島地震に遭遇
- 「富山は大事な場所」という思い
- 実家の家族に支えられて
- 瀧内公美の実家まとめ
ここからは、実家を離れてからのエピソードと、今も続く実家とのつながりを見ていきます。
実家を離れて東京の大学へ
瀧内さんは、高校卒業後に大学進学をきっかけに上京しました。文春オンラインでは「地元の富山から都市部の大学に出たくて」と話しています。
ただ、上京には条件がありました。「父から、東京の大学に行くなら資格の取れるところでないと駄目だと言われたんです。ひとりっ子だったし、わりと厳しい家だったんですね」と振り返っています。
こうして瀧内さんは、教員免許が取れる大妻女子大学に進学しました。門限のある実家を離れたこともあり、「しつけに厳しい家から解放されたからか、ひとり暮らしを満喫していました(笑)」と語っています。
父との約束どおり、瀧内さんは大学で小学校の教員免許を取得しました。大学4年のときには地元の小学校で約1か月の教育実習を経験しており、その帰り道に富山で映画の撮影に出会ったことが、女優を目指す転機になったといいます。
実家に帰りたいと思った時期
女優として歩み始めてからは、思うように仕事が増えない時期もありました。文春オンラインでは、当時を「呼吸がしづらくなる感覚があったんですよね」と表現しています。
そして「だから一時期は実家に帰りたいと思ったこともありました」と明かしました。2021年の現代ビジネスのインタビューでも「この世界には向いていないのではないかと思って富山に帰りたいと思ったこともありました」と語っています。
苦しい時期に思い浮かんだのが、富山の実家だったのです。それでも東京にとどまって挑戦を続けたことが、のちの主演女優賞につながっていきました。
帰省中に能登半島地震に遭遇
2024年1月1日、瀧内さんは富山の実家に帰省していたときに能登半島地震に遭いました。マイナビニュースのインタビューでは「地震が起きたときは必死で逃げました」と語っています。
さらに「わりと高台に近い家なので、少し経って家に戻ることもできましたし、翌日には新幹線が走り出して、おかげさまで東京に戻ることができた」と説明しました。
一方で「実家のあたりは断水しましたし、停電にもなりました」とも話しており、実家のある地域にも地震の影響が及んだことが分かります。
「富山は大事な場所」という思い
地震を経験した瀧内さんは、地元への思いも語っています。同じインタビューで「富山は18歳まで育ててもらったすごく大事な場所なので、自分に何か力になれることがあれば、それは全力でやらせてもらいたいと思います」と話しました。
「18歳まで育ててもらった」という言葉には、実家と地元への深い感謝が込められています。
北日本新聞社のブランド・アンバサダーを引き受けたことも、富山の力になりたいという思いの表れといえそうです。
実家の家族に支えられて
実家の家族は、今も瀧内さんの活動を応援しています。マイナビニュースのインタビューでは「学費を払ってもらって大学まで行かせてもらったのに、親に対して申し訳ないですよね(笑)」と、教員にならずに女優の道を選んだことに触れています。
そのうえで「それでも、背中を押して今もすごく応援してくれるので、そこに関して親には本当に感謝しています」と語りました。
大河ドラマ『光る君へ』への出演については「大河ドラマは全国で放送されているので、両親や親戚も喜んでいました」と明かしています。富山の実家で、家族が瀧内さんの出演作を楽しみにしている様子が目に浮かびます。
瀧内公美の実家まとめ
瀧内公美さんの実家について、分かっていることをまとめます。
- 瀧内公美さんの実家は富山県にあり、報道では高岡市出身と紹介されている
- 実家のある地元は、夜遅くなると信号が点滅し、電車は1時間に1本の田舎町
- 実家は漁港の近くで、行商から祖父が魚を買う家だった
- 父の単身赴任中は、母と祖父との3人暮らし
- 映画館までは車で20〜30分かかり、映画を見ることは特別な時間だった
- 大学進学で上京し、売れない時期には実家に帰りたいと思ったこともある
- 2024年の元日、帰省中の実家で能登半島地震に遭った
- 今も頻繁に帰省し、北日本新聞社のブランド・アンバサダーを務めている
信号が点滅する静かな町で育った瀧内さんにとって、富山の実家は今も心のよりどころです。地元への感謝を胸に、これからも多くの作品で活躍していくことでしょう。

