澤穂希は何がすごい?205試合83得点とアジア人初の世界最優秀

澤穂希は何がすごい?205試合83得点とアジア人初の世界最優秀

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澤穂希さんが「何がすごい」のか、と検索する方は少なくありません。

名前は知っているけれど、具体的に何を成し遂げた人なのかは意外と説明しづらい。そんな感覚ではないでしょうか。

結論から書くと、記録のほとんどが「日本人で唯一」か「男女通じて最多」のどちらかです。

この記事では、数字で確認できる実績を年表として並べたうえで、記録に表れない部分まで整理していきます。

澤穂希は何がすごいのか|数字で確認できる実績

まずは、記録として残っているものから見ていきましょう。

  • 代表205試合83得点の重み
  • 15歳で始まった代表歴
  • ワールドカップ6大会連続
  • 2011年大会で獲った三冠
  • アジア人初の世界最優秀

代表205試合83得点の重み

最初に、いちばん大きな数字から押さえておきます。

澤穂希さんの日本代表通算成績は、205試合83得点です。

200試合を超える代表歴というだけで、世界的に見ても限られた選手しか到達していない領域です。しかも澤さんのポジションはミッドフィールダーでした。

点を取るのが仕事のフォワードではなく、中盤で守備にも走りながら83点を積み上げています。単純計算で2.5試合に1点ですから、得点力としても相当なものです。

先に、主な記録を一覧にしておきます。

日本代表通算 205試合83得点
代表デビュー 1993年12月6日(15歳)
ワールドカップ 6大会に出場。男女を通じて最多
2011年女子W杯 優勝・得点王・MVP(大会5ゴール1アシスト)
FIFA最優秀選手 2012年1月9日に受賞。アジア人で初
オリンピック 4度出場。2012年ロンドン大会で銀メダル
その他 2014年11月21日にAFC殿堂入り

並べてみると、ひとつひとつが単独でも語れる記録だと分かります。順に見ていきましょう。

15歳で始まった代表歴

キャリアの長さも、この人を語るうえで外せない要素です。

代表デビューは1993年12月6日、15歳のときでした。

中学生の年齢で代表に呼ばれ、そこから20年以上にわたって第一線に立ち続けたことになります。

所属クラブでのデビューはさらに早く、1991年から読売サッカークラブ女子・ベレーザでプレーしていました。小学校を出たばかりの頃から、トップレベルの環境にいたわけですね。

これがどれほど異例かは、同じ期間に何度も世代が入れ替わっている点を考えると分かります。デビュー当時のチームメイトはとっくに引退し、後輩だった選手も監督やコーチになっていくなかで、澤さんはピッチに立ち続けました。

長く続けただけでなく、最後まで主力だったところが決定的です。ベテランとして名前だけ残っていたのではなく、優勝した大会で得点王になっているのですから。

ワールドカップ6大会連続

継続の凄みが最もはっきり出るのが、この記録です。

女子ワールドカップへの6度の出場は、男女を通じて最多の記録です。

ワールドカップは4年に一度しか開かれません。6大会に出るということは、単純計算で20年以上にわたって代表の座を守り続けたということになります。

その間には、けがもあれば世代交代の波もあったはずです。若い選手が次々に出てくるなかで、毎回選ばれ続けるのは実力だけでなく、体を保つ努力の積み重ねでもあるでしょう。

しかも初出場は10代の頃で、最後の出場となった大会では30代後半に入っていました。同じ大会に少女として出て、ベテランとしても出る。それだけの幅を持つ選手は、そういません。

「男女通じて最多」という但し書きが付くのも重要な点です。日本のサッカー選手全体を見渡しても、この記録に並ぶ人がいないわけですから。

2011年大会で獲った三冠

そして、いちばん知られているのが2011年です。

この大会で澤さんは、優勝・得点王・MVPを同時に手にしました。

チームは日本の女子サッカー史上初となる世界一に到達し、澤さん個人は大会通算5ゴール1アシストを記録しています。

この3つが揃うことの意味を考えてみてください。優勝は「チームが強かった」、得点王は「個人が点を取った」、MVPは「大会でいちばん影響力があった」ということです。ひとつでも十分な勲章になるものが、同じ年に並んでいます。

とくに得点王というのが効いています。守備の負担も大きい中盤の選手が、世界大会で最も点を取ったわけですから。

優勝した瞬間の映像は、いまも繰り返し流れています。ただ、その裏でこれだけの個人記録が積み上がっていたことは、意外と知られていないかもしれません。

もうひとつ付け加えるなら、この大会で澤さんはキャプテンでした。数字を残しながら、チームをまとめる役目も背負っていたわけです。

プレーで引っ張るタイプの主将というのは、口で言うほど簡単ではありません。自分の調子が落ちれば説得力を失いますし、若手に気を配る余裕も要ります。それを優勝までの全試合でやり切ったことになります。

アジア人初の世界最優秀

翌年には、個人としての最高の評価が届きます。

2012年1月9日、FIFA最優秀選手賞を受賞しました。アジア人としては初めてです。

これは2011年の活躍に対して贈られた賞で、その年に世界でいちばん優れた選手を選ぶものです。いわゆるバロンドールと呼ばれる賞ですね。

サッカーは競技人口が最も多いスポーツのひとつです。そのなかで世界一に選ばれるというのは、他の競技に置き換えても簡単に例えられないレベルの話でしょう。

日本人でこの賞を受けたのは、男女を通じて澤さんだけです。「日本人唯一のバロンドール」という紹介のされ方をするのは、そのためですね。

さらに2014年11月21日にはAFC殿堂入りも果たしています。現役のうちから、アジアのサッカー史に名前が刻まれたことになります。

澤穂希がすごいと言われる本当の理由|数字の外側

ここからは、記録表には残らない部分を見ていきます。

  • あの決勝の同点ゴール
  • 3度に及んだ海外挑戦
  • 環境を変えた存在として
  • 引退までの最後の年
  • 澤穂希は何がすごいのかまとめ

あの決勝の同点ゴール

記録より先に思い出される場面があります。

2011年の決勝、延長戦の終盤に決めた同点ゴールです。

試合は敗色が濃くなっていた状況でした。そこで生まれた1点でチームは息を吹き返し、最終的に世界一までたどり着いています。

あのゴールが特別なのは、技術的な難度だけではありません。もう終わりかもしれないという空気のなかで、キャプテンが最後に決めたという文脈がすべてを持っていきました。

スポーツの記録は数字で残りますが、人の記憶に残るのは場面のほうです。205試合83得点という数字を知らない人でも、あの1点だけは覚えているという方は多いでしょう。

「レジェンド」と呼ばれる選手には、たいていこうした象徴的な瞬間があります。澤さんの場合、それが世界一を決める試合で起きたということですね。

興味深いのは、この場面が本人のキャリアの縮図にもなっている点です。派手なドリブル突破で魅せるタイプではなく、必要な場所に必要なときにいる選手でした。

そういう選手の価値は、ふだんの試合では見えにくいものです。それが世界一を懸けた場面で、いちばん分かりやすい形で表れた。だからこそ、あの1点は語り継がれているのでしょう。

3度に及んだ海外挑戦

キャリアの中身を見ると、もうひとつ目を引く点があります。

澤さんはアメリカのリーグに3度も渡っています。

1999年から2000年にコロラド・デンバー・ダイヤモンズ、2000年から2003年にアトランタ・ビート、そして2009年から2010年にワシントン・フリーダム。日本と行き来しながら、繰り返し海を渡っているんです。

いまでこそ女子選手の海外移籍は珍しくありませんが、1990年代の終わりとなると事情がまったく違います。情報も少なく、待遇も保証されていない時代でした。

それでも環境を変えにいったのは、上のレベルでやりたいという意思の表れでしょう。国内で安定した立場を築いてからも、また出ていっているのですから。

帰国後は2011年からINAC神戸レオネッサに所属し、そこで世界一のシーズンを迎えます。行って戻ってを繰り返した経験が、あの年につながったと見ることもできそうです。

環境を変えた存在として

競技成績とは別に、社会的な影響も大きい選手でした。

2011年の優勝は、日本の女子サッカーを取り巻く景色を変えています。

それまで大きく報じられることの少なかった競技が、一気に全国的な話題になりました。試合の中継が組まれ、選手が広告に起用され、競技を始める子どもが増えていきます。

そのきっかけになった年に、キャプテンとして中心にいたのが澤さんでした。プレーで結果を出しただけでなく、注目を引き受ける立場でもあったわけですね。

引退後もサッカーとの関わりは続いています。近年のインタビューでは、娘さんとサッカーをする日常について語る場面もありました。競技の裾野を広げる側に回っている、と言えるかもしれません。

記録は破られる可能性がありますが、競技の見られ方を変えた事実は残り続けます。

引退までの最後の年

最後に、キャリアの締めくくり方にも触れておきます。

引退を表明したのは2015年12月16日でした。

この年は6度目のワールドカップに出場した年でもあります。つまり最後まで代表として大会に立ち、そのシーズンを終えてからユニフォームを脱いだことになります。

同じ年の8月8日には、元Jリーガーの辻上裕章さんと結婚しました。競技生活の締めくくりと、新しい家庭のスタートが重なった1年です。

その後2017年1月9日には第1子となる女の子が誕生しています。引退から出産まで、区切りの付け方が実にきれいでした。

やり残しを作らずに退く。これも簡単なことではありません。多くの選手が引き際に悩むなかで、大会に出た年に決断しているところに、この人らしさが出ています。

クラブでの最後の所属先はINAC神戸レオネッサでした。2011年から2015年まで在籍し、世界一になった年も、引退の年も、このクラブのユニフォームを着ています。

1991年にベレーザでプレーを始めてから、実に20年以上。移籍と帰国を繰り返しながら、最後は国内のクラブで区切りをつけた形になります。

澤穂希は何がすごいのかまとめ

ここまでの内容を整理します。

  • 日本代表通算205試合83得点。中盤の選手としては異例の得点数
  • デビューは1993年12月6日、15歳。20年以上にわたって第一線に立ち続けた
  • ワールドカップ6大会出場は、男女を通じて最多の記録
  • 2011年女子W杯で優勝・得点王・MVPの3つを同時に獲得した
  • 2012年1月9日、アジア人として初めてFIFA最優秀選手賞を受賞
  • 1990年代末から3度アメリカへ渡り、環境を変えながら実力を伸ばした

「何がすごいのか」への答えは、ひとつに絞れません。長さも、数字も、決定的な場面も、すべてが揃っている選手だからです。

強いて挙げるなら、記録のほとんどに「日本人で唯一」か「男女通じて最多」という但し書きが付く点でしょう。比べる相手が国内にいないというのは、それだけで説明としては十分なのかもしれません。

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