南こうせつの奥さん・育代は随筆家!馴れ初めは高円寺の荷物誤配だった

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南こうせつさんの奥さんは、どんな人なのでしょうか。

「神田川」や「妹」で知られるフォークの第一人者ですが、その傍らにはずっと一人の女性がいました。妻の名前は南育代さん。じつは彼女自身も、文章を書く仕事を持つ表現者です。

二人の出会いは、若き日のアパートで起きた一つの「配達ミス」でした。そして今、夫婦は都会を離れ、大分の海が見える丘で畑を耕して暮らしています。

この記事では、南こうせつさんの奥さん・育代さんの人物像から、一目惚れの馴れ初め、3人の子ども、そして大分での現在の暮らしまでを丁寧に追いかけていきます。

南こうせつの奥さん・育代とは?馴れ初めと家族構成

  • 妻・育代の職業とプロフィール
  • 高円寺のアパートで起きた荷物の誤配
  • 一目惚れから半年後の再会と結婚
  • 3人の子どもと写真家の長女
  • 息子は東大医学部?噂の真相

まずは、奥さんがどんな女性で、二人がどう結ばれたのかから見ていきます。

妻・育代の職業とプロフィール

南こうせつさんの奥さんは、南育代さんといいます。仕事の場では「南いくよ」という名前で活動する、エッセイスト(随筆家)です。

まず、奥さんと家族の基本情報を整理しておきます。

妻の名前 南育代さん(活動名・南いくよ)
職業 エッセイスト(随筆家)
結婚した年 1973年
出会った場所 東京・杉並区高円寺の隣同士のアパート
子ども 3人(長男・長女・次男)
現在の住まい 大分県杵築市(国東半島)

「歌手の妻」というと、一歩下がって夫を支える存在をイメージしがちです。ところが育代さんは、自分の名前で文章を発表してきた書き手でもあります。

1979年には『富士山からのおくりものーこうせつ一家・四季のうた』という著書を出しています。一家の暮らしぶりを綴った一冊で、ただの妻ではなく「書く人」であることがよくわかります。

性格は理数系で、探究心が強いタイプだと語られています。畑をやれば土のなかの微生物を調べ、野菜の糖度を測って楽しむ。感覚ではなく理屈で物事を面白がる人なのです。

芸術肌の夫と、理系寄りの妻。タイプの違う二人が半世紀以上も連れ添ってきたことに、この夫婦の面白さが表れています。

高円寺のアパートで起きた荷物の誤配

二人のなれそめは、とてもささやかな偶然から始まりました。舞台は、南こうせつさんが上京してすぐに暮らしていた東京・杉並区高円寺のアパートです。

きっかけは、一つの配達ミスでした。南こうせつさん宛ての荷物が、なぜか隣の部屋の育代さんのところへ誤って届けられたのです。

育代さんは、その荷物をわざわざ隣の部屋へ届けに来ました。これが二人の初対面です。ドラマのような大げさな出会いではなく、生活のなかのちょっとしたトラブルが縁を結んだわけですね。

ところが、このときの南こうせつさんの格好が問題でした。髪はボサボサ、着ているのはヨレたTシャツ。売れる前の、いかにも駆け出しのミュージシャンといった姿です。

荷物を受け取った瞬間、南こうせつさんは「可愛いひとだなぁ」と一目で心を奪われました。それと同時に、こんなだらしない格好で会ってしまった、と激しく後悔したといいます。

好きだと思った相手に、いちばん見られたくない姿で対面してしまう。誰にでも身に覚えのある、少し情けなくて微笑ましい出会いでした。

一目惚れから半年後の再会と結婚

とはいえ、その日すぐに交際が始まったわけではありませんでした。二人の距離が縮まるまでには、もう一度の偶然が必要でした。

初対面からおよそ半年後、二人はアパートのゴミ置き場でばったり再会します。この何気ない再会をきっかけに、ようやく交際がスタートしました。

荷物の誤配で顔を合わせ、ゴミ置き場で再び出会う。華やかな芸能界の恋愛とはほど遠い、生活感たっぷりのなれそめです。だからこそ、飾りのない縁だったともいえます。

そして交際を経て、二人は1973年に結婚しました。かぐや姫として「神田川」が大ヒットする、ちょうどそのころのことです。

仕事が一気に忙しくなる時期に家庭を持ったことになります。売れっ子になっていく夫を、書き手でもある妻が横で支える。二人三脚の暮らしは、この結婚から始まりました。

半世紀を超えて連れ添ってもなお、その関係は穏やかに続いています。派手なエピソードよりも、こうした地に足のついた始まりが、長続きの土台になっているのかもしれません。

3人の子どもと写真家の長女

南こうせつさんと育代さんの間には、3人の子どもがいます。上から長男、長女、次男という並びです。

長男は1975年生まれ、長女は1979年生まれ、そして次男は1994年生まれです。長男と次男は19歳もの年の差があり、かなり幅の広いきょうだい構成になっています。

このなかで、名前と職業が公になっているのが長女です。写真家・フォトジャーナリストとして活躍する南しずかさんが、南こうせつさんの娘とされています。

南しずかさんの経歴は本格的です。東海大学工学部の航空宇宙学科を卒業したあと、写真の世界へ進みました。ニューヨークの写真学校ICPで、フォトジャーナリズムとドキュメンタリー写真のプログラムを修めています。

2008年からはアメリカの女子ゴルフツアーの取材を始め、大リーグや東京五輪のゴルフ競技なども撮影してきました。世界のお祭りを10年以上追い続けるなど、活動は国際的です。2022年にはフジテレビの『7RULES(セブンルール)』で特集も組まれました。

父は音楽、娘は写真。表現するフィールドは違っても、何かを世に伝える仕事を選んでいる点は共通しています。理系出身という点は、母・育代さんの血筋を感じさせますね。

息子は東大医学部?噂の真相

南こうせつさんの子どもについて調べると、「息子が東大医学部」「息子は医者」といった話が出てきます。ここは気になる人が多いところなので、正直に整理しておきます。

結論から言うと、息子が東大や医学部に進んだという確かな情報は見当たりません。あくまでネット上で語られている噂の域を出ないのが実情です。

そもそも、公に名前や職業が明かされているのは写真家の長女だけです。長男と次男については、芸能活動をしているわけでもなく、一般の方として暮らしていると伝えられています。

母親の育代さんが理数系で探究心の強い人であること、家庭に学びを大切にする空気があったことを考えると、「優秀な息子」という人物像が想像で膨らんでいった可能性はあります。

とはいえ、確認できない話を事実のように語るのはフェアではありません。一般人であるお子さんのプライバシーにも関わる部分ですから、ここは「噂はあるが未確認」と受け止めておくのがよさそうです。

南こうせつと奥さんの現在|大分・杵築での暮らし

  • 富士山麓での7年間と移住のきっかけ
  • 大分・杵築のガラス張りの家
  • 70歳での建て替えとTシャツのエピソード
  • 夫婦で畑を耕す現在の暮らし
  • 南こうせつの奥さん・育代についてまとめ

ここからは、夫婦がたどり着いた「自然のなかの暮らし」を見ていきます。

富士山麓での7年間と移住のきっかけ

南こうせつさん夫婦は、早くから都会を離れる道を選びました。その最初の移住先が、富士山の麓でした。

きっかけは、南こうせつさんが26歳のころ。かぐや姫が解散した直後のことでした。「自然の中で暮らしたい」「子どもたちを自然のなかで育てたい」という思いが強くなり、妻の育代さんに相談して富士山麓への移住を決めます。

ここでの生活の様子は、育代さんの著書『富士山からのおくりもの』に細かく綴られています。夫婦で約7年間、富士山を望む土地で暮らしました。

ただ、この暮らしには思わぬ壁がありました。「とにかく寒くて、家庭菜園も1年に2か月くらいしか収穫できない」という厳しさだったのです。

自然に囲まれた理想の暮らしと、現実の寒さ。そのギャップが、次の移住先を探す理由になりました。畑を楽しみたい夫婦にとって、作物が育たない環境は致命的だったわけですね。

大分・杵築のガラス張りの家

富士山麓を離れた夫婦がたどり着いたのが、南こうせつさんの故郷にほど近い大分県でした。現在の住まいは、国東半島にある杵築市です。

ここに構えた家が、なかなかに個性的でした。3000坪弱という広大な土地に建てた、ガラス張りの真っ白な大きな家です。

敷地には別棟のアトリエも併設されていました。朝起きると、窓の向こうに海が広がって見える。そんな贅沢な設計の住まいだったといいます。

富士山麓での「寒さ」という失敗を踏まえ、温暖な大分を選んだのは自然な流れでした。海が見える丘の中腹、木々に囲まれた場所で、夫婦は畑をやりながら過ごすようになります。

都会のマンションで暮らす選択肢もあったはずです。それでもこの夫婦は、手をかけて土を育てられる場所を選び続けました。自然のなかで生きたいという若き日の願いを、そのまま人生の後半でも貫いているのです。

70歳での建て替えとTシャツのエピソード

ところが、あれほどこだわって建てたガラス張りの大きな家にも、転機が訪れます。年齢を重ねるにつれ、この家は「老後には広すぎる」と感じるようになったのです。

そこで南こうせつさんは、70歳を迎えたころに大きな決断をします。広い家を、平屋のコンパクトな住まいへと建て替えたのです。

この建て替えで大変だったのが、大量のモノの整理でした。長年ため込んだ荷物を手放す作業に、南こうせつさんは「こんなに大変なことはない」とこぼしたといいます。

とりわけ象徴的だったのが、Tシャツです。なんと300枚ものTシャツがあり、1枚ずつ手に取っては思い出がよみがえり、なかなか捨てられずに立ち往生してしまったのだとか。

ステージ衣装のような派手なものではなく、Tシャツ300枚。ここにも、飾らないこの夫婦らしさがにじんでいます。モノを減らして身軽になる暮らしへ、二人はゆっくりと舵を切っていきました。

夫婦で畑を耕す現在の暮らし

コンパクトな平屋に移った今も、夫婦の生活の中心には畑があります。南こうせつさんと育代さんは、二人そろって土いじりを楽しんでいます。

畑ではキュウリやナス、トマト、カボチャ、オクラ、豆類など、さまざまな野菜を育てています。育代さんが収穫した色とりどりの野菜を、こうせつさんが料理するのが日常の風景です。

ここで理数系の妻らしさが顔を出します。育代さんは土のなかの微生物を調べたり、育てた野菜の糖度を測ったりして、その過程そのものを面白がっているそうです。ただ作るのではなく、探究しながら育てる畑なのです。

仕事が入れば南こうせつさんは上京し、ステージに立ちます。そして仕事が終われば、また海の見える丘の家に帰って畑仕事に戻る。『徹子の部屋』などでも、この穏やかな二拠点的な暮らしが紹介されてきました。

夫婦で一つの畑を育てる時間は、若いころ富士山麓で思い描いた「自然のなかの暮らし」の完成形なのかもしれません。荷物の誤配から始まった縁が、半世紀を経て、この静かな景色にたどり着いたわけですね。

南こうせつの奥さん・育代についてまとめ

南こうせつさんの奥さん・育代さんについて、要点を整理します。

  • 妻は南育代さん。「南いくよ」の名で活動するエッセイストで、1979年に著書『富士山からのおくりもの』を出している
  • なれそめは高円寺のアパート。荷物の誤配で出会い、半年後にゴミ置き場で再会して交際、1973年に結婚した
  • 子どもは3人。長女は写真家・フォトジャーナリストの南しずかさんで、東海大工学部から写真の道へ進んだ
  • 「息子が東大医学部」という噂は確かな情報がなく、未確認の域を出ない
  • 富士山麓で約7年暮らしたのち、寒さを理由に大分県杵築市へ移住した
  • ガラス張りの大きな家を建てたが、70歳ごろに平屋へ建て替え、身軽な暮らしへ切り替えた
  • 現在は夫婦で畑を耕し、理数系の育代さんは野菜の糖度を測るなど探究しながら暮らしている

華やかなヒット曲の裏で、南こうせつさんの人生を支えてきたのは、書くことが好きで理屈っぽくて、けれど土を愛する一人の女性でした。

荷物の配達ミスから始まった縁が、大分の海が見える丘での畑仕事にたどり着く。その道のりそのものが、この夫婦のいちばんの作品なのかもしれません。

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