岩田絵里奈の母親は名前も職業も非公表!本人が明かした黒ワンピースの贈り物と両親の教え

岩田絵里奈の母親は名前も職業も非公表!本人が明かした黒ワンピースの贈り物と両親の教え

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『世界まる見え!テレビ特捜部』や『シューイチ』の進行で親しまれ、2026年3月末に日本テレビを退社してフリーへ転身したアナウンサーの岩田絵里奈さん。飾らない明るさの背景にどんな母親がいるのか、気になる方も多いのではないでしょうか。

岩田絵里奈さんの母親は一般の方で、名前や職業は公表されていませんが、本人のコラムには娘の好みに合う黒いワンピースを買ってきてくれる母親の姿が書かれています。

両親は、ケータイ代を使いすぎた中学生の娘に「働いて返しなさい」と言い渡す厳しさも持っていました。

この記事では、岩田絵里奈さんの母親について、本人のコラムや番組での発言、報道をもとに整理します。

岩田絵里奈の母親はどんな人?本人が語った素顔

  • 母親の基本情報と公表範囲
  • バーゲン帰りに贈った黒ワンピ
  • 6つの習い事と中学受験

まずは、母親について公表されている範囲と、岩田さん本人が語ったエピソードを見ていきます。

母親の基本情報と公表範囲

岩田絵里奈さんは1995年8月30日生まれ、東京都出身のフリーアナウンサーです。渋谷教育学園渋谷中学高等学校から慶應義塾大学文学部に進み、2018年に日本テレビへ入社しました。2026年3月末に同局を退社し、翌4月にフリーアナウンサーへ転身しました。

家族は両親と姉、妹の5人家族で、岩田さんは3姉妹の真ん中にあたります。入社2年目の2019年に書いた公式コラムでも「私は三姉妹の中間子で」と自己紹介していました。

母親について分かっていることを、先に一覧にしておきます。

母親の名前・年齢 公表されていない
母親の職業・出身地 公表されていない
本人が語った母親の話 黒いワンピースを贈ってくれた(2023年のコラム)
両親の方針 ケータイ代は「働いて返しなさい」
父親 外科医(本人が番組で公表)
姉妹 ひと回り年上の姉と妹がいる3姉妹

岩田さんの母親は一般の方です。名前や年齢、職業、出身地、顔写真は、本人や所属事務所から公表されておらず、大手メディアの報道でも確認できませんでした。所属事務所の公式プロフィールにも、家族に関する記載はありません。

岩田さんが母親だけを取り上げて語った記録も、調べた範囲では2023年の公式コラムが1本あるだけでした。そのほかの場面では、「親」「両親」とまとめて話しています。

インターネット上には、母親の職業や出身地を挙げる記事も見られます。ただ、どれも出典が示されておらず、出身地は記事によって食い違っていました。実家の詳しい場所についても、本人が明かしたことはありません。

母親が背を伸ばすために牛乳を飲ませた、という話も広まっています。けれども、岩田さんが2026年6月の番組で語ったのは、学生時代に「朝、800ミリリットルぐらい飲んでから行ってました」という自分の習慣で、母親がそうさせたという発言は確認できませんでした。

この記事では、根拠を確認できない情報は紹介せず、岩田さん本人が公の場で語った母親の話を中心にお伝えします。

バーゲン帰りに贈った黒ワンピ

母親の人柄がもっともよく伝わるのが、岩田さんが日本テレビのアナウンスルーム公式サイトに書いたコラムです。2023年11月27日付の回で、母親から贈られた黒いワンピースの話をつづっています。

きっかけは、その3年ほど前の夏でした。バーゲン帰りの母親が「ねぇ、好きそうなワンピースがあったよ」と言って、黒いワンピースをプレゼントしてくれたそうです。

岩田さんは服選びが大の苦手で、同じコラムでも「毎日同じものばかりを着てしまいます」と打ち明けています。母親が選んだのは、汚れの目立たない黒で、風通しがよく、シワのつきにくい素材の一着でした。

気を遣わずに着られて、アイロンもいらない。それでいて一枚でおしゃれに見えるこのワンピースを、岩田さんは「革命でした」と表現しています。

服に無頓着な娘の好みと性格を分かったうえで、ぴったりの一着を見つけてくる母親だったのです。

一目惚れをした岩田さんは、二日に一回のペースでこのワンピースを着るようになりました。夏に向けて新しい服を買っても、新品が汚れるのをためらってしまい、結局は母親にもらった一着に頼り続けたといいます。

着ては洗うことを繰り返した結果、黒かった生地はすっかり色があせてしまいます。コラムには「黒ワンピ改め、ダスティーグリーンに衝撃の変貌を遂げました」と書かれていました。

母親の反応も、年を追うごとに変わっていきます。はじめのうちは「気に入ってるのね」と喜んでいたものの、やがて「ちょっと、もうそろそろ…」と渋い顔をするようになりました。

そして3年ほどたった頃には、ついに真顔で「もういいんじゃない?」と言われたそうです。

贈った本人が止めに入るというやり取りからは、思ったことを遠慮なく言い合える母と娘の関係がうかがえます。娘が同じ服を着続ける様子を、母親はそばでずっと見ていたことになります。

岩田さんはこのコラムを、「ファッションをめんどくさがらないこと」という抱負で締めくくりました。フリーに転身した後の2026年5月に出演したラジオ番組でも、「黒のワンピースとか洗いすぎてダスティグリーンになって…」と、同じ服を着続けた日々を笑いながら振り返っています。

6つの習い事と中学受験

岩田さんは子供の頃、たくさんの習い事を経験しています。2026年4月21日に放送された日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』では、これまでに経験した習い事として、バレエ、そろばん、塾、ピアノ、習字、水泳の6つが紹介されました。

なかでも役に立ったと話したのが、そろばんです。処理能力や瞬発力が鍛えられて数字に強くなったといい、「今でもめちゃめちゃ生かされてるな」と実感する場面があると語りました。

その場面というのが、食事会の会計です。「ご飯とか行って、凄いお酒飲む人と、全くお酒を飲まない人がいるじゃないですか。それとかもちゃんと計算して、一人あたりのお金を出すようにしたりとか」と明かし、司会の明石家さんまさんを苦笑させました。

番組では、誰のすすめで習い始めたのかまでは語られていません。ただ、勉強のほかにバレエやピアノ、水泳、習字と、幅広い経験をさせる家庭で育ったことがうかがえます。

その後、岩田さんは中学受験を経て、渋谷教育学園渋谷中学校に入学しました。雑誌のインタビューでは、中学と高校の日々を「伸び伸びと楽しく過ごした6年間でした」と振り返っています。

入学後は勉強よりも友達と過ごす時間を楽しんでいました。「放課後は友達と教室でお菓子食べながらトランプしたり、ファストフード店でおしゃべりしたりして、家に帰ってからもゲームやテレビの毎日」だったといい、赤点を取ったこともあったそうです。

それでも高校3年になると受験勉強に切り替え、「人の何倍もやらないと現役で合格できないだろうなと覚悟を決め、高校3年の1年間は頑張りました」と語るほど打ち込んで、慶應義塾大学文学部に現役で合格しました。

学生時代にはマジック教室にも通っており、所属事務所のプロフィールでも趣味にカードマジックを挙げています。2019年の新聞のインタビューでも、得意なジャンルはカードだと紹介されました。

この伸び伸びとした中学時代に起きたのが、次に紹介するケータイ代の一件です。

岩田絵里奈の母親と父親の教え|両親との関係

  • ケータイ代は「働いて返しなさい」
  • 進路は両親にほぼ事後報告
  • 父親は外科医で名付け親
  • 3姉妹の真ん中と家族の時間
  • 岩田絵里奈の母親まとめ

ここからは、母親と父親が岩田さんにどう向き合ってきたのかを、ケータイ代のエピソードや進路の話から見ていきます。

ケータイ代は「働いて返しなさい」

両親の方針がよく表れているのが、中学時代のケータイ代をめぐるエピソードです。2026年5月2日放送のTBS系『人生最高レストラン』で、岩田さん本人が詳しく明かしました。

中学2年生の夏休みのことです。当時の携帯電話は通信料が定額の使い放題ではなかったのに、岩田さんは着メロを次々とダウンロードしていました。「夏休み暇すぎて、ず~っと着メロをダウンロードしてたんですよ」と振り返っています。

ダウンロードは曲の一部分ごとに細かく続き、本人は「Aメロ、Bメロ、Cメロ、サビとか全部細かく一生ダウンロードしてたら、とんでもない(請求)金額来たんですよ」と説明しました。

届いた請求は、本人いわく「どえらい金額」でした。共演者に「何十万単位?」と聞かれると、「それぐらい結構来たんですよ」と答えています。

これに両親は激怒しました。のちの雑誌のインタビューでも、桁違いの請求が来て両親が怒ったと紹介されています。岩田さんによると、「もういい加減にしなさい!」と叱られたうえで、「働いて返しなさい。全部、自分の責任で1円もこっちは貸しません」と言い渡されたそうです。

両親は請求を肩代わりせず、自分の力で返すよう中学生の娘に求めたのです。

とはいえ、中学生が働ける場所は限られます。岩田さんは雑誌のインタビューで「学校はアルバイト禁止だったんですが、芸能活動だけは許可されていて」と説明しました。

そこで頼ったのが、以前に受けたスカウトでした。岩田さんは自分から連絡を取り、「岡崎歩美」の芸名で活動を始めます。

ステージで歌ったり、CMや広告に出演したりしましたが、目的はあくまで返済でした。本人は「まずは目の前にある借金を返すっていうことが一個だったので」と話しており、大学に入る頃には活動をやめています。

なお、このとき叱ったのが母親なのか父親なのかは、はっきり語られていません。岩田さんは番組でもインタビューでも、「親」「両親」という言い方をしています。

進路は両親にほぼ事後報告

岩田さんは、大事なことほど自分で決めてきたといいます。2026年9月に公開された雑誌『ゲーテ』ウェブ版のインタビューでは、両親との関係について率直に語りました。

「日テレ退職もですけど、人生を左右するような大きな決断でも、両親には事後報告ということが多かったですね」。大学時代、アメリカで働く姉に憧れて休学届を出し、アメリカの大学に入学届を出したときも、両親には相談しなかったそうです。

さらに「そういえば、日テレを受けることも両親には伝えていなかったですね」とも明かしています。理由については「誰かに言われて何かを決めるというのが苦手で、自分で選んで決めたい子だったんです」と説明しました。

留学をやめてアナウンサーを目指したときも、決めたのは自分でした。渡米を目前に控えた夏休みの出来事です。2022年の新聞のインタビューでは、先輩にすすめられて参加したインターンで仕事の魅力を知り、「本当に全部手続きを終えていたので、そこから急いで休学届を取り消しました」と振り返っています。

この決断について、岩田さんは「あれがなかったら受けていなくて、金融の世界を目指していたと思います」とも語りました。

日本テレビを辞めるときも同じでした。不安はあったものの、自分に「どうしたいか」を問いかけて出てきた答えが、「いろんなことをやってみたい。今までとは違うジャンルにも挑戦したい」だったといいます。

両親への伝え方について、『ゲーテ』の連載の別の回では「両親に悩んでいるという話はしたと思いますが、ほぼ事後報告ですね」と話しています。

続けて岩田さんは「小さい時から、自分がこうと決めたら絶対に曲げない子だったので、両親も慣れているんです(笑)」と語りました。

娘の決断を後から知らされても受け止めてきた、母親と父親の姿が浮かぶ言葉です。同じインタビューでは、岩田さんが両親や妹とよく食事に行くことも紹介されており、家族の仲のよさがうかがえます。

父親は外科医で名付け親

父親の職業は、岩田さん本人が番組で公表しています。2025年3月11日放送の日本テレビ系『カズレーザーと学ぶ。』で、救急医療をめぐる議論のなかで明かしました。

「私、父親が外科医なんですけど、本当に24時間、ポケベルが手放せない状態で」。深夜でも呼び出しがあれば出かけていき、家族で出かけた先でも同じだったといいます。岩田さんは「遊園地に行っても、それがかかってきたら帰るっていうような」と、幼い頃の記憶を語りました。

そのうえで「その時しか助けられない命があるということで、相当な使命感がないと、その生活と環境には耐えられない」と、父親の仕事への敬意も口にしています。父親の名前や勤務先は、本人からは公表されていません。

「絵里奈」という名前を付けたのも父親です。父親はサザンオールスターズの長年のファンで、名前は楽曲「いとしのエリー」から取られました。岩田さんは2021年のコラムに「幼い頃から家でも車でもサザンオールスターズさんが流れている環境で育ち」と書いています。

ところが、父親に一番好きな曲を聞くと、返ってきた答えは「栞のテーマ」でした。岩田さんは同じコラムで、「きっと照れ屋な父なりに思いを込めて付けたのだと思います」とつづっています。

岩田さんは高校時代まで父親と同じ医師を目指していましたが、高校3年で文系に進路を変えました。2026年3月29日、『シューイチ』への最後の出演では父親から直筆の手紙が届き、「絵里奈らしく自分の道を進んでいってください。応援しています。」と結ばれていました。

父親から手紙をもらうのは初めてだったそうで、岩田さんは「こんなの書ける人だとまったく思ってなかったので、びっくりして」と驚いています。続けて「医者になりたくないってさんざん迷惑をかけたので、こういう形で最後の姿を見せられてよかったなって思います」と語りました。

2026年9月の音楽特番では、サザンオールスターズの桑田佳祐さんに名前の由来を伝えたときのことを、「ファンの父も連れて行って親孝行できたんですよ」と振り返っています。

3姉妹の真ん中と家族の時間

岩田さんには姉と妹がいます。姉はひと回り年上で、岩田さんが大学生の頃はニューヨークの金融機関で働いていました。

この姉の存在が、進路に大きく影響します。大学時代に姉を訪ねた岩田さんは、「かっこいいオフィスから、タイトワンピースにお団子ヘア、ハイヒールでカツカツと歩いてくる姉を見て、『プラダを着た悪魔』ではないけど、『これになりたい』って思った」と振り返っています。この姉に憧れて、岩田さんは海外の金融業界を目指すようになりました。

岩田さんには2人の姪もいて、2019年のコラムでは、上の姪に初めて名前を呼ばれたときのことを「本当に感動しました」とつづっていました。同じ年の夏休みには、アメリカに住む姉のもとを訪ねています。

姉妹は3人とも「な」がつく名前で、名前の漢字について父親に聞くと「たまたまそのへんに美術館があって、それで」と返されたというエピソードも残っています。妹は一般の方で、詳しいプロフィールは明かされていません。

そんな岩田さんの家族は、一緒に過ごす時間を大切にしてきました。入社2年目だった2019年の新聞のインタビューでは、「毎週日曜は家族の時間と決めていて、今でも一緒に映画を見に行ったりします」と話しています。

当時の岩田さんは、日曜朝の生放送『シューイチ』に出演していました。生放送のある日曜を、家族の日にもしていたわけです。

フリーに転身してからも、両親の話はたびたび出てきます。2026年9月、テレビ朝日系の番組『火曜の良純孝太郎』のリニューアルにあわせて進行役への起用が発表された際には、両親がこの番組の大ファンだと明かしました。

レギュラー入りを報告すると両親がとても喜んでくれたといい、岩田さんは「親孝行ができたなと思っています」とコメントしました。

大きな決断は事後報告で済ませても、うれしい知らせは両親に伝えて一緒に喜ぶ。岩田さんと両親の関係がよく表れたエピソードです。

岩田絵里奈の母親まとめ

岩田絵里奈さんの母親について、分かっていることをまとめます。

  • 母親は一般の方で、名前・年齢・職業・出身地・顔写真は公表されていない
  • 本人のコラムによると、バーゲン帰りの母親が黒いワンピースを贈ってくれた
  • 岩田さんが着続けたため、母親は真顔で「もういいんじゃない?」と言った
  • 幼少期にはバレエ、そろばん、塾、ピアノ、習字、水泳を経験した
  • 中学時代に高額のケータイ代を請求され、両親から「働いて返しなさい」と言い渡された
  • 大学の休学や日本テレビの受験、退社は、両親にほぼ事後報告だった
  • 父親は外科医で、「絵里奈」の名前は「いとしのエリー」が由来
  • ひと回り年上の姉と妹がいる3姉妹の真ん中

母親が表に出ることはありませんが、岩田絵里奈さんの言葉の端々から、娘をよく見て見守ってきた姿が伝わってきます。これからの活躍にも注目です。

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