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具志堅用高さんの家族はどんな人たちなのか、気になって検索した方も多いのではないでしょうか。
具志堅用高さんは、石垣島の漁師の家に4人の子の次男として生まれ、結婚して息子と娘に恵まれ、孫たちからは「じぃじ」と呼ばれる存在になりました。
父の用敬さんは2019年9月に、愛犬のグスマンは2020年3月に亡くなっています。
この記事では、父や姉、NHK特集で描かれた一族、妻と子供、孫、愛犬グスマンまで、本人の言葉と報道をもとに整理します。
目次
具志堅用高の家族|父・兄弟・一族と石垣島のルーツ
- 家族構成と漁師だった父
- 父の最期と姉が継いだ記念館
- 一族と実家、ふるさと石垣島との縁
まずは、生まれ育った家族の話です。父、姉、一族、そして石垣島との結びつきを順に見ていきます。
家族構成と漁師だった父
具志堅用高さんは1955年6月26日、沖縄県石垣市(石垣島)で生まれた元プロボクシング世界王者です。1976年に世界王者となり、13回の防衛を重ねました。引退後はタレントとしても知られています。
家族について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 出身 | 沖縄県石垣市(石垣島) |
| 父 | 用敬さん。石垣島の漁師で、2019年9月8日に亡くなった |
| 兄弟 | 4人の子の次男。長男は父の喪主を務め、長女の姉が記念館の運営を引き継いだ |
| 一族 | 琉球王朝に仕えた名門と、1979年のNHK特集で紹介された |
| 妻 | 2021年に結婚40周年と報じられた |
| 子供 | 息子と娘 |
| 孫 | 2020年12月の本人の話では5人 |
| 愛犬 | ボクサー犬のグスマン。2020年3月の後半に死去 |
妻、息子、娘、孫は一般の方なので、お名前や仕事などは取り上げず、続柄と、本人や報道が語った範囲にとどめます。
なお、検索すると「具志堅ファミリー」という名前も出てきますが、これは沖縄在住の家族4人のユニットの名前で、具志堅さんの家族として紹介されたものではありません。2013年1月のORICONの記事では、ユニットの母親が「親戚かと言われると…ね。まぁ、人はみんな親類ですからね」と笑って答えており、具志堅さんとの血縁が確認された話でもありません。
サンケイスポーツの「すごいファミリーですよ」という見出しの記事も、具志堅さんがボクシングの井上家について語った発言で、自身の家族の話ではありません。
では、具志堅さんの父はどんな人だったのでしょうか。父の用敬(ようけい)さんは、沖縄本島北部の本部町崎本部の出身です。終戦後に石垣島へ移り住み、漁師として4人の子を育て上げたと、沖縄タイムスが2019年9月に伝えています。
具志堅さんは、父の用敬さんがカツオ漁船の船長で、負けず嫌いで寡黙な人だったが、自分の1番のファンだったと語っています。
2021年8月に『徹子の部屋』の出演予告が出た際、まんたんウェブやテレビ朝日のニュースサイトがこの話を紹介しました。
具志堅さんは1981年に現役を退きました。その後、用敬さんは自宅の近くに具志堅用高記念館を立ち上げ、約30年間、館長を務めたといいます。
約30年も館長を続けたということは、息子の功績を伝える役目を長く担ってきたことになります。海で働いてきた漁師が、息子の記念館を守る側に回ったという流れは、家族の絆を感じさせる話です。
父の最期と姉が継いだ記念館
用敬さんは2019年9月8日の夜、老衰のため石垣市の自宅で亡くなりました。告別式は10日の予定で、喪主は長男が務めると、沖縄タイムスが伝えています。
通夜に駆けつけた具志堅さんは、「僕のことを一生懸命応援してくれた。世界王者になり親孝行できて良かった」と振り返りました。
記念館の運営を引き継いだ姉は、「父は生前、用高のジムから世界王者が誕生するまでは死ねないと言っていた」と明かしています。
具志堅さんが会長を務めたジムの比嘉大吾さんは、2017年5月20日にフライ級の世界王者になりました。姉は、比嘉さんが勝ったときの父はうれしそうな表情を浮かべていた、とも話しています。
テレビ朝日のニュースサイトの紹介記事は、父が亡くなったのは5人目の孫が生まれた9か月後だったと伝え、そんな父への思いを明かす回だと紹介しました。
5人目の孫が生まれた9か月後に旅立った父と、その父に世界王者になった姿を見せて親孝行できたと語る息子。二人の関係は、派手さはなくても深い信頼で結ばれていたように感じられます。
沖縄タイムスによると、用敬さんが育てた子は4人で、具志堅さんは次男です。長男は父の葬儀で喪主を務め、長女である具志堅さんの姉は、父から記念館の運営を引き継ぎました。
具志堅用高記念館には、チャンピオンベルトなど具志堅さんにゆかりの品が並ぶと、琉球新報が報じています。2014年12月、具志堅さんの国際ボクシング殿堂入りが決まったとき、姉は涙ぐみながら「13回の防衛は努力あってこそだったが、当時は家族も心配して見ていた」と話しました。殿堂入りについては「また宝が増えた」とも喜んでいます。
「当時は家族も心配して見ていた」という言葉は、試合を見守る家族の気持ちが分かる一言で、胸に残りました。
2018年7月の琉球新報には、記念館の顔出しパネルの話も載っています。父の代わりに記念館を管理するようになった姉が、「何か面白いものを置きたい」と2014年に設置したものです。ファイティングポーズの輪郭そのままに作られていて、顔をはめるのは意外と難しいそうです。
長男と長女以外の兄弟については、本人の発言や報道に詳しい話は出ていません。
一族と実家、ふるさと石垣島との縁
具志堅さんの一族は、NHKの特集番組でも取り上げられました。1979年10月22日に放送された「わが沖縄〜具志堅用高とその一族〜」です。
番組紹介によると、具志堅一族はかつて琉球王朝に仕えた名門で、廃藩置県で没落して沖縄の各島へ散りましたが、固い絆で結ばれていたといいます。
番組は、9度目のタイトル防衛戦に向けて練習する具志堅さんの姿を交えながら、出稼ぎ、戦争、米軍による占領と続いた沖縄の歩みを、一族を通して描きました。2025年5月16日には、NHK総合の「時をかけるテレビ」で再び取り上げられ、具志堅さんもゲスト出演すると、まんたんウェブが伝えています。
そんな一族の中で育った具志堅さんの実家は、想像しにくいほど質素な暮らしだったようです。2026年3月の日刊ゲンダイのインタビューでは、沖縄が日本に復帰する前の石垣島を「アメリカでした。野性的な生活ですよ」と振り返り、家は「かやぶき屋根で風呂もシャワーもなく、水を浴びるだけ」だったと語っています。
喉が渇けば川の水を飲み、お腹がすけばサトウキビをかじり、釣った魚をそのままさばいて食べる毎日でした。琉球新報(共同通信配信)の2022年の記事では、「牛乳一本飲めない。年1度の運動会の時だけ、鶏もも肉が重箱に入っていた」と話しています。
年に一度の運動会の日にだけ鶏もも肉が出たという話は、当時の暮らしぶりが具体的で、意外に感じました。
家には白黒の小さなテレビがあり、近所の人たちも見に来たそうです。文春オンラインの取材には、「昼間は両親は働いているし、僕は学校に行っている。だから、帰ってきた夕方に、みんなで見るんだ」と語りました。
中学を終えると、那覇市の興南高校へ進みました。下宿先の銭湯で働きながら、部活漬けの日々を送っています。「石垣の高校に合格してたら、うみんちゅ(漁師)になってた」と話しており、父と同じ漁師の道もあったのかもしれません。母親については、昼間は両親とも働いていたという本人の言葉のほかに、詳しい話は報道に出てきません。
家族の話の背景には、いつも故郷の石垣島があります。2013年12月26日には、石垣市が石垣港離島ターミナルに具志堅さんの銅像を設置し、除幕式に本人も参加しました。その港は、本島へ渡る船に乗った思い出の場所です。銅像の前で具志堅さんは「この場所から船に乗って本島へ行き、チャンピオンになることができた」と語りました。
2015年6月には、国際ボクシング殿堂入りを祝う記念パネルが同じターミナルに設置されました。中学の同窓会に出席するため帰郷していた具志堅さんは、「戦いを乗り越えられたのも石垣島のおかげ」と感謝を述べています。
2016年11月の講演では、「私の勇気と我慢は大人になって培われたのではなく、石垣島で少年時代に育まれたハングリー精神が基礎になった」と話しました。2023年12月15日には、八重山署の一日署長を務め、「今日は私もふるさと八重山のために頑張りたい」と訓示しています。
王座獲得から50年の節目にあたる2026年10月18日には、宜野湾市で記念興行が開かれました。具志堅さんは「チャンピオンになって沖縄に帰るのだという気持ちで戦ってきた」と振り返っています。
具志堅用高の家族|妻・子供・孫と愛犬グスマン
- 妻と息子、娘、孫のこと
- 愛犬グスマンとの日々と別れ
- 具志堅用高の家族まとめ
ここからは、結婚してからの家族と、長く暮らしを支えた愛犬の話です。
妻と息子、娘、孫のこと
具志堅さんは、2021年に結婚40周年を迎えました。テレビ朝日のニュースサイトは、出会ったときは大学生だった妻が、当時は具志堅さんが世界チャンピオンだとは知らなかったと伝えています。
2020年12月のインタビューで、具志堅さんは夫人のことを「母ちゃん」と呼んで話しています。愛犬グスマンを迎えるときには、夫人から「こんな怖い犬、飼えない!」と反対されたことも明かしました。
息子と娘が家族として同じ場に立った場面もあります。2015年6月、米国で行われた国際ボクシング殿堂の授賞式には、妻、息子、娘、孫が駆けつけたと琉球新報が報じました。授賞式では記念の指輪が贈られ、具志堅さんは「素晴らしいチャンピオンと同じ殿堂入りし、仲間になれたことは大変うれしい」と喜びを語っています。
2014年6月には、映画『ラストミッション』のイベントに、娘と孫娘が一緒に出席しました。映画イベントでの3世代出演は初めてだったといいます。父の日の前だったため、娘から感謝のメッセージ、孫娘から手作りの金メダルが贈られました。
娘は父について「父は何でも許しちゃう。少し甘いかも」と話しています。孫娘については、具志堅さんが「たまらなくかわいい。笑顔を見ているだけで元気になる」と話し、「ジイジイって呼んでくれるのが最高なんですよ」と目尻を下げました。世界王者の顔ではなく、家族に甘いお父さん、おじいちゃんの顔が見えてくるやりとりです。
2020年12月のインタビューでは、「私は孫が5人いるんだけど」と本人が語っています。愛犬との散歩コースについても「今は孫と“グスマンコース”を散歩するけど、ちょっと体重は増えたよ」と話しました。
散歩コースにグスマンの名前がついていて、それを孫と歩くという話から、愛犬が家族の日常の中にいたことがよく分かりました。
2021年8月の『徹子の部屋』の紹介記事は、具志堅さんを5人の孫の優しい「じぃじ」と伝え、5人目で初めての男の子との日常を映像で紹介するとしました。
紹介記事には、すっかりメロメロの「じぃじ」の素顔とは、という一文もあります。世界王者だった人が孫の前では目尻を下げるという落差は、読んでいてほほえましくなる話です。2026年4月5日には、孫と東京ディズニーランドを訪れた様子を自身のインスタグラムに投稿し、「混んでたねぇ いいお天気でした」と書きました。ファンからは「最高のジイジ」といった声が寄せられたと、デイリーニュースオンラインが伝えています。
愛犬グスマンとの日々と別れ
長年、具志堅さんの「相棒」として知られたのが、ボクサー犬のグスマンです。名前は、1976年に具志堅さんが世界王者になった試合の相手、ファン・ホセ・グスマンから取りました。顔が似ていたからだと、本人が2020年12月のインタビューで語っています。
もともと犬は苦手だったそうです。現役時代のロードワーク中に柴犬に足を噛まれたことがあったためです。その後、メスのミニチュアピンシャーの「アンコ」と沖縄の動物病院で出会い、連れて帰ってみるとかわいくて、ボクサー犬を迎えることにしました。
夫人に反対されたため、千葉のボクサー犬訓練所に3か月間通わせてしつけをし、家では冷暖房完備の部屋を建て増しています。散歩は朝と夕方の最低2回、1回40分ほどで、雪でも嵐でもカッパを着せて出かけたそうです。
具志堅さんは「グスマンは赤ちゃんがいるとそばにいて、ずっと守ろうとするんだよ」と、孫と愛犬の関係を語っています。
テレビのロケにも一緒に出ました。勝浦のプールにライフジャケットを着て入り、埼玉では気球にも乗っています。本物のグスマンさんとテレビで対面させる企画で、番組スタッフがニューヨークまで交渉に出向いたこともありましたが、実現はしませんでした。犬のグスマンの写真を見た本物のグスマンさんは、「似てないよ」と笑っていたそうです。
別れの時期は、新型コロナウイルスで世の中が暗いころでした。亡くなったのは2020年3月の後半で、葬儀はひっそりと済ませ、公表しなかったと本人が明かしています。腫瘍の手術を経て元気になった時期もありましたが、転移もあり、最期は眠るように息を引き取ったといいます。
具志堅さんは2020年7月21日にツイッターで愛犬の死を報告し、「今までありがとう!」と感謝を伝えました。
インタビューでは、「私からしたら、もうちょっと元気でいてほしかった」と心情をこぼしています。亡くなった直後にはブリーダーから「またボクサー犬を見に行こう」と誘われましたが、「しばらくは無理ですよ」と断りました。「やっぱりグスマンは最高だった」というのが、本人の言葉です。
亡くなった直後に「しばらくは無理ですよ」と断ったという言葉は、別れの重さが伝わってきて、印象に残りました。
王座獲得50年の節目の2026年10月には、当時のポスターの写真とあわせて、今は亡き愛犬グスマンの写真もインスタグラムに投稿しています。その後に新しい犬を迎えたかどうかは、本人の発言や報道には出てきません。
具志堅用高の家族まとめ
具志堅用高さんの家族について、分かったことをまとめます。
- 1955年6月26日、石垣島(沖縄県石垣市)生まれ
- 父の用敬さんは本部町崎本部の出身で、終戦後に石垣島へ移り住んだ漁師。2019年9月8日に亡くなった
- 子は4人で、具志堅さんは次男。長男が父の喪主を務め、長女の姉が記念館の運営を引き継いだ
- 1979年のNHK特集で、琉球王朝に仕えた名門の具志堅一族が描かれた
- 2021年に結婚40周年と報じられた。息子と娘がいる
- 2020年12月の取材で「孫が5人いる」と語り、2021年8月の『徹子の部屋』でも5人の孫の「じぃじ」と紹介された
- 愛犬のボクサー犬グスマンは2020年3月の後半に亡くなり、同年7月に本人が報告した
漁師の父に育てられ、姉が記念館を守り、孫や愛犬の話になると目尻を下げる。家族の話からは、具志堅さんの飾らない人柄が伝わってきます。これからの活躍にも注目です。
