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井上順さんの妻を調べていくと、たいてい「いまは独身」という説明にたどり着きます。
ただ、かつては結婚していました。相手は資生堂の人気モデルとして知られた青木エミさんです。
そして別れた理由についても、本人がはっきり言葉にしています。
この記事では、妻だった青木エミさんとの14年と、離婚してからの井上順さんについて整理していきます。
目次
井上順の妻は誰だった?資生堂の人気モデル・青木エミとの14年
まずは、妻だった人がどんな人物で、二人がどう結ばれ、どう別れたのかを順に見ていきます。
- 妻は人気モデルだった
- 出会いは番組の共演
- 憧れの夫婦と呼ばれた
- 「24時前に帰ったのは1回」
- 1982年夏に離婚した
妻は人気モデルだった
井上順さんの妻だったのは、資生堂の人気モデルとして知られた青木エミさんです。
芸能界の外にいた一般の方ではありません。当時のテレビや雑誌に出ていた、名前の通った人でした。
先に、分かっていることを一覧にしておきます。
| 妻 | 青木エミ(モデル・女優) |
| 結婚 | 1960年代の終わりごろ |
| 結婚生活 | 本人いわく14年間 |
| 離婚 | 1982年夏 |
| 子供 | 公表されている情報は確認できない |
| 再婚 | していない |
| 現在 | 30歳ほど年下の女性と交際していると本人が公言 |
| 生まれ | 1947年2月21日・東京都渋谷区 |
青木エミさんは1949年5月24日の生まれです。アイルランド系アメリカ人の父と日本人の母のあいだにアメリカで生まれ、幼いころに母とともに東京へ移りました。
芸能界に入るきっかけは、中学3年のときです。写真家の秋山庄太郎さんにスカウトされ、『週刊文春』の表紙モデルとしてデビューしました。そこから化粧品メーカーや雑誌のモデルとして活躍し、資生堂の顔として広く知られるようになります。
つまり二人は、どちらも表舞台にいる人同士でした。
出会いは番組の共演
二人が出会ったのは、『ラブラブショー』という番組の共演がきっかけでした。そこから「大恋愛の末に結婚」したと記録されています。
当時の井上順さんは、すでに顔の知られた人でした。1963年、成城学園高等学校に在学中にザ・スパイダースへ加入。グループ・サウンズの全盛期を最年少メンバーとして駆け抜け、ツインボーカルを担当しています。
スパイダースは1970年に解散。翌1971年には『昨日・今日・明日』でソロ歌手としてデビューしました。ちょうど、バンドの一員から自分の名前で立つ人へと切り替わっていく時期です。
一方の青木エミさんは、雑誌の表紙と化粧品の広告で顔が知られていました。人気モデルと人気歌手。当時の言い方をすれば、絵に描いたような組み合わせです。
ただし、結婚した年をはっきり記した一次情報や大手報道は確認できませんでした。ネット上では1969年としている記事が複数ありますが、いずれも出典が示されていません。
確実に言えるのは、離婚が1982年の夏で、本人がその結婚生活を「14年間」と振り返っていることです。そこから逆算すると、結婚は1960年代の終わりごろということになります。
憧れの夫婦と呼ばれた
結婚してからの十数年は、井上順さんがテレビでもっとも見られていた時期と重なります。
妻がいた時期は、そのまま『夜のヒットスタジオ』の司会を務めていた時期と重なります。
司会を務めたのは1976年から1985年まで。3代目の男性司会者として、芳村真理さんとコンビを組みました。この番組の男性司会としては最長にあたる9年半です。
毎週の生放送で歌手を迎え、進行し、笑わせる。当時の音楽番組の中心にいた人でした。しかもその前後には俳優としての仕事も入ります。
『夜のヒットスタジオ』は、その週にヒットしている歌手が生で歌う番組です。出演者は毎週入れ替わり、打ち合わせもリハーサルも本番も、司会者がすべて受け止めることになります。9年半という在任期間の長さは、そのまま拘束時間の長さでもありました。
加えて、この時期の井上順さんは司会だけの人ではありません。俳優としてドラマにも出ていましたし、歌手としてのステージもあります。渋谷生まれ渋谷育ちで交友も広い人です。
華やかに見える時期ではあります。ただ、家庭の側から見ると事情はまったく違いました。生放送とその後の付き合いが続けば、帰宅は当然のように深夜になります。
表で憧れの夫婦と見られていた時間と、家の中で妻が待っていた時間。この二つがどれだけ食い違っていたかは、離婚のときに本人が突きつけられることになります。
「24時前に帰ったのは1回」
離婚について、井上順さんはのちのインタビューで具体的なやりとりを明かしています。CHANTO WEBが2023年10月31日に公開した記事です。
別れ際、妻からこう聞かれたといいます。
「順さん、結婚してるあいだ、24時前に帰ってきたことが何回あるか知ってますか?」
井上順さんが答えると、返ってきた数字は1回でした。14年のあいだで、たった1回です。
「これじゃあ別れるよね。僕だって嫌になるよ」と本人が振り返っています。
言い訳をしていないところが、この発言の重いところだと思います。忙しかったから、仕事だったから、という方向へ話を逃がしていません。
同じインタビューでは、女性との関わり方全般についてもこう語っています。「ほとんどの方にご迷惑をかけたと思う。失礼なこともいっぱいしたし。女性に対しては懺悔しかないです」。
離婚の原因を相手のせいにする言葉は、どこにも出てきません。
もうひとつ気づくのは、この話を本人が自分から公にしている点です。別れてから40年以上が経ってからのインタビューで、いちばん都合の悪い数字を自分で口にしています。
「24時前に帰ったのは1回」という一文は、忙しさの自慢にも読めてしまう危うい話です。それでも本人は、そこを笑い話にせず「これじゃあ別れるよね」と受け止めています。
妻の側がどんな十数年を過ごしたのかは、この一行でだいたい想像がつきます。華やかな夫婦として見られていたぶん、家の中の静けさは際立ったはずです。
1982年夏に離婚した
離婚が成立したのは1982年、昭和57年の夏でした。
そして以後、井上順さんは独身のままです。再婚を伝えた発表も報道も出ていません。
二人のあいだに子供がいたという公表情報も確認できませんでした。出産を報じた記事も、本人が子供について語った記録も見当たりません。
時期を並べてみると、離婚の3年後に『夜のヒットスタジオ』の司会も終わっています。ひとつの時代が閉じるタイミングだったとも言えます。
ちなみに離婚のあとも、井上順さんはすぐに番組を降りたわけではありません。『夜のヒットスタジオ』の司会はさらに3年続き、1985年まで務め上げています。私生活の区切りと仕事の区切りは、別々にやってきたことになります。
青木エミさんの側の記録とも、時期は合っています。1949年生まれの青木エミさんにとって、結婚生活は20代のほとんどを占めた期間でした。
なお離婚の経緯について、当時の週刊誌がどう報じたかまでは追えませんでした。いま読めるのは、40年ほど経ってから本人が振り返った言葉のほうです。
どちらか一方の言い分しか残っていない、という点は頭に置いておく必要があります。青木エミさんが離婚について語った記録は、確認できませんでした。
井上順に今の妻はいる?離婚後の歩みと年下の恋人
ここからは、離婚してからの井上順さんについて見ていきます。
- 離婚後は再婚していない
- 元妻とはいまも親しい
- 年下の女性との交際報道
- 結婚という形はとらない
- 井上順の妻についてまとめ
離婚後は再婚していない
いま「妻」と呼べる相手はいません。
1982年の離婚から現在まで、再婚を伝えた発表も報道も確認できません。籍を入れたという話は一度も出ていないわけですね。
その間、仕事は途切れていません。『夜のヒットスタジオ』のあとも司会、俳優、歌手として活動を続けています。
1999年頃からは感音性難聴のため補聴器を使うようになりました。音楽番組の司会を長く務めた人にとって、耳の不調は小さな出来事ではなかったはずです。それでも表に立ち続けました。
2020年には渋谷区名誉区民に選ばれています。渋谷生まれ渋谷育ちで、街への思い入れを公言してきた人らしい顕彰です。
近年は連続テレビ小説『おかえりモネ』(2021年)、日曜劇場『VIVANT』(2023年)で乃木寛道役を演じました。2022年には自身の本も出しており、2024年には第32回橋田賞特別賞を受けています。
離婚してから40年以上。その大半を、独身のまま仕事を続けてきたことになります。
元妻とはいまも親しい
意外に思われるかもしれませんが、二人の関係は離婚で切れていません。
青木エミさんは離婚したあとも「井上」の姓を使い続けています。
現在は「井上エミ」「井上笑子」を名乗って活動しており、前夫である井上順さんとも親しくしていると記録されています。
青木エミさんのその後もたどっておきます。離婚のあとはカフェやケーキ店の仕事に携わり、のちにその職を離れました。1990年代の半ばには写真集『FOREVER』を出版しています。
いまは執筆や講演のほか、洋菓子店「西麻布ラ・ターブル」に関わっています。モデルから実業家へ。芸能の世界にとどまらず、自分の店と言葉で立ってきた人です。
別れたあとに相手の姓を残すというのは、そう多い話ではありません。仕事の名前としてすでに定着していたから、という事情もあるでしょう。ただ、それだけなら「青木エミ」という元の名前に戻す道もあったはずです。
14年の結婚が、憎み合って終わったわけではなかった。姓を残し、いまも親しくしているという事実が、そのことを静かに伝えています。
年下の女性との交際報道
いま井上順さんには、交際している相手がいます。本人が公言しています。
報じられ始めたのは2014年です。写真週刊誌が30歳ほど年下の女性との交際を伝え、スポーツ紙もそれを記事にしました。2017年には、結婚も視野に入れていると報じられています。
相手は元報道キャスターと伝えられていますが、いまは表に出ている方ではありません。氏名や勤務先を掘り下げるのは筋が違うので、この記事では触れません。
目を引くのは、井上順さんが交際を隠していないことです。写真週刊誌に撮られたから認めた、という流れではありません。雑誌のインタビューで自分から関係を語り、相手についての考え方まで話しています。
芸能人が交際相手について語るとき、たいていは当たり障りのない言い方に落ち着くものです。そこを踏み込んで話しているぶん、この交際が一時的なものではないことが伝わってきます。
本人がインタビューで語っているのは、その相手との関係の中身のほうです。
「30歳の年の差があると、同じことをやってもやり方も考え方も違う。どちらが正しいかじゃなくて、『新しい息吹』を与えてもらってる」
年下だから引っ張ってあげる、という言い方ではありません。むしろ受け取っている側として話しています。
結婚という形はとらない
交際は公言しているのに、結婚という形はとっていません。
2017年には結婚も視野に入れていると報じられました。そのとき伝えられたのが「彼女の意見を尊重」という言い方です。自分が決めて引っ張る、という構えではありません。
そして、その後に結婚を発表した事実はありません。交際が報じられてから10年以上、関係だけが続いている状態です。
なぜ籍を入れないのか。その理由を本人が明言した記録は、確認できませんでした。
ただ、一度目の結婚について語った言葉を読むと、想像はつきます。24時前に帰った回数が14年で1回。「女性に対しては懺悔しかない」。自分が結婚生活で何を相手に強いたのかを、はっきり自覚している人です。
もう一度同じことを繰り返さないための距離、という見方もできるでしょう。もっとも、これは本人が語っていない部分なので、あくまで読み手の推測にとどまります。
はっきりしているのは、いま井上順さんに妻はいないこと。そして、そばにいる人はいるということです。
井上順の妻についてまとめ
最後に、この記事で確認できたことを整理します。
- 妻だったのは、資生堂の人気モデルとして知られた青木エミさん
- 出会いは『ラブラブショー』の共演で、大恋愛の末の結婚と記録されている
- 結婚した年を明記した一次情報・大手報道は確認できない(1969年とする記事はあるが出典なし)
- 本人は結婚生活を「14年間」と振り返っている
- 離婚は1982年、昭和57年の夏
- 別れ際、妻から「24時前に帰ってきたことが何回あるか」と聞かれ、答えは1回だった
- 本人は「これじゃあ別れるよね」「女性に対しては懺悔しかない」と語っている
- 子供がいるという公表情報は確認できない
- 離婚後は再婚しておらず、いま妻と呼べる相手はいない
- 青木エミさんは離婚後も「井上」の姓を使い、いまも親しくしていると記録されている
- 2014年から30歳ほど年下の女性との交際が報じられ、本人も公言している
「井上順 妻」で検索して答えが出にくいのは、離婚から40年以上が経っていて、いまの肩書きが「独身」になっているからでしょう。
ただ、その独身に至るまでには14年の結婚と、はっきりした反省の言葉があります。新しい発表があれば、この記事もあらためて追記していきます。

