坂本美雨の兄弟は3人!異父兄・異母姉と映像作家の弟・空音央を整理

坂本美雨の兄弟は3人!異父兄・異母姉と映像作家の弟・空音央を整理

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坂本美雨さんに兄弟がいることは、意外と知られていません。

しかも顔ぶれがなかなか複雑で、上に姉と兄、下に弟がいます。全部で4人兄弟ですが、4人とも父か母のどちらか一方だけが同じという間柄なんです。

ヴェネチア国際映画祭に呼ばれた映画監督の弟がいることも、ここ数年でようやく広く知られるようになりました。

この記事では、坂本美雨さんの兄弟が誰なのか、そしてどんな距離感で付き合ってきたのかを順に整理していきます。

坂本美雨の兄弟は3人|4人兄弟の構成を整理

まずは、兄弟全員の顔ぶれから押さえていきましょう。

  • 兄弟は全部で4人
  • 全員が異父・異母である理由
  • 母の連れ子だった異父兄
  • 父の最初の結婚で生まれた姉
  • 映像作家として活躍する弟

兄弟は全部で4人

兄弟の人数については、本人がラジオではっきり口にしています。パーソナリティを務めるTOKYO FM『坂本美雨のディア・フレンズ』の2024年10月1日放送で、「私たち4人兄弟なんですけれども上に姉と兄がいて、私は坂本の次女、音央さんは末っ子」と説明しました。

つまり坂本美雨さんから見た兄弟は、姉が1人、兄が1人、弟が1人の合計3人になります。

先に、全体像を一覧にしておきます。

兄弟の人数 本人を含めて4人
父・坂本龍一さんが最初の結婚で授かった長女。一般女性
矢野風太さん。母・矢野顕子さんと最初の夫との間に生まれた
本人 坂本美雨さん。1980年5月1日生まれ
空音央さん。1991年にニューヨークで誕生した映像作家
共通点 4人とも、父か母のどちらか一方だけが同じ

一覧にすると、家系の枝分かれの多さが目に見えてきますよね。姉と弟は父方から、兄は母方からつながっている兄弟です。

そして4人が同じ屋根の下で一緒に暮らしたことは、一度もありません。ここが坂本家の兄弟関係を語るうえで、いちばん大きな前提になります。

全員が異父・異母である理由

なぜ全員が異父・異母なのか。それは両親がどちらも再婚同士だったからです。

父の坂本龍一さんは、東京藝術大学に在学していた時期に2歳年上の女性と結婚しています。この結婚で生まれたのが長女、つまり坂本美雨さんにとっての姉にあたる人です。その後、この夫婦は離婚しました。

一方の母・矢野顕子さんも、音楽プロデューサーの矢野誠さんと1974年に結婚しています。「矢野」という名字はこのときのもので、二人の間に生まれた息子が風太さんでした。矢野顕子さんは1979年に離婚しています。

それぞれ別の結婚を経た二人が出会い、1980年5月1日に坂本美雨さんが誕生。両親が正式に入籍したのは、その後の1982年6月25日でした。

さらに父は、ニューヨークで出会ったスタッフの女性との間に1991年、末っ子となる息子をもうけています。両親は1992年から長い別居に入り、2006年に離婚が成立しました。

こうした経緯が重なった結果、坂本美雨さんは「父だけが同じ姉と弟」「母だけが同じ兄」に囲まれることになったわけです。

母の連れ子だった異父兄

兄にあたるのは、矢野風太さんです。母・矢野顕子さんと最初の夫である矢野誠さんとの間に、1975年に生まれています。坂本美雨さんより5歳年上の異父兄です。

風太さんの名前は、往年の矢野顕子ファンにはおなじみかもしれません。ライブアルバム『東京は夜の七時』のジャケットには、4歳ごろの風太さんの姿が使われていました。母親の代表作に、幼い息子が写り込んでいたことになります。

両親がともに音楽家という環境で育ちながら、風太さんは音楽の世界には進みませんでした。芸能活動もしておらず、客室乗務員として働いていると伝えられています。

表舞台に立たない生き方を選んだためか、風太さんが取材に応じたという話もほとんど出てきません。母や妹の名前を出さずに仕事をしてきた人、という表現がいちばん近そうです。

ただし坂本美雨さんにとっては、東京時代から一緒に生活してきた唯一の兄弟でもあります。ニューヨークへ渡ったときも一緒でした。4人のうち、幼少期を共有した相手は兄だけということになります。

父の最初の結婚で生まれた姉

姉については、公になっている情報がほとんどありません。父・坂本龍一さんが藝大在学中の結婚で授かった長女、というところまでが確認できる範囲です。

芸能界に入っていないため、氏名も職業も公表されていません。写真が出回っているわけでもなく、生年も明らかにされていない状態が続いています。

興味深いのは、坂本美雨さん自身も姉の存在をずっと知らなかった点です。父から打ち明けられたのは13歳のころで、しかも弟の話と同時でした。「上に?」と驚いたと本人が振り返っています。

つまり、弟がいると聞かされたその場で、姉もいると知ったわけですね。順番でいえば姉のほうが先に生まれているのに、存在を知った順番は逆転していたことになります。

ネット上には姉の名前や職業を挙げる書き込みも見かけますが、出典がはっきりしているものは見当たりません。父の坂本龍一さんが最初の結婚について多くを語らなかったこともあり、確かな手がかりが残っていないのが実情です。

一般の方である以上、ここから先を詮索するのは筋が違います。坂本美雨さんが姉について多くを語らないのも、そうした配慮があってのことでしょう。

映像作家として活躍する弟

末っ子の弟は、映像作家の空音央(そら ねお)さんです。1991年にアメリカ・ニューヨークで生まれ、母親は坂本龍一さんのそばで長く仕事をしていた空里香さん。名字が「坂本」ではないのは、母方のものを名乗っているためです。

東京とニューヨークを行き来しながら育ち、コネチカット州のウェズリアン大学で映画と哲学を専攻しました。卒業後はフリーランスの映像作家、アーティスト、翻訳家として歩み始めています。

名前が一気に知られたのは、2023年公開のドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto|Opus』でしょう。父の最後の演奏を記録した作品を、息子が監督したことで大きな話題になりました。

さらに2024年には、長編劇映画デビュー作『HAPPYEND』を発表。ヴェネチア国際映画祭のオリゾンティ部門に選ばれ、第65回日本映画監督協会新人賞にも輝いています。

音楽ではなく映像という道を選びながら、結果として父の仕事を後世に残す役目を担うことになりました。姉である坂本美雨さんは『HAPPYEND』について「素晴らし過ぎて…尊敬してます、本当に」と語っています。

坂本美雨と兄弟たちの関係|同居しなかった距離感

ここからは、4人がどう関わってきたのかを見ていきます。

  • 弟の存在を知らされた日
  • 大人になってから知り合った
  • ラジオで実現した初共演
  • それぞれが選んだ別の道
  • 坂本美雨の兄弟についてまとめ

弟の存在を知らされた日

坂本美雨さんが姉と弟の存在を知ったのは、13歳のときでした。父から「君たちには弟がいるんだよね」と告げられたといいます。

「君たち」という言い方からわかるとおり、この告白は兄の風太さんと一緒に受けています。すでに一家はニューヨークへ移り住んでおり、父は仕事で不在がちでした。

思春期の入口で、いきなり家族の地図が書き換わる。ふつうなら動揺しそうな場面ですが、本人の受け止め方は少し違っていました。

坂本美雨さんは「父を取られた」とは感じなかったと語っています。理由として挙げているのが、「そもそも、父は私のものではなかった」という感覚でした。

東京にいたころから父はほとんど家におらず、すれ違いの関係が続いていたそうです。ニューヨーク移住後は別居状態となり、本人はそれを「見事なフェードアウト」と表現しています。もともと距離のあった父だからこそ、奪われたという実感が湧かなかったのでしょう。

転機が訪れたのは1994年でした。ロンドンとパリで父と過ごした時間について、坂本美雨さんは「出会いなおしたような感覚」だったと語っています。親子としてではなく、一人の人間として向き合い直した時期だったのかもしれません。

大人になってから知り合った

弟の存在を知ってからも、二人がすぐに交流を始めたわけではありません。育った場所も生活の拠点も別々で、一緒に暮らした期間はゼロです。

そのあたりの事情を、坂本美雨さんはこう説明しています。「弟とはいえ一緒に住んだことがなかったので実際にはじっくり知り合っていった感じで、大人になってから知り合った」。

兄弟でありながら、初対面に近いところから関係を積み上げてきたわけですね。血のつながりが自動的に親密さを生むわけではない、という当たり前のことを思い出させる言い方です。

距離が縮まったのは、ここ数年のこと。坂本美雨さんは「ここ数年、父が繋げてくれたという感じもあるんですけど」とも語っています。空音央さんの側も「最近ぐっと知り合ってきてるという感じ」と応じました。

父の闘病と死、そして父を記録した作品づくり。その過程が、離れていた姉弟をつなぎ直したということなのでしょう。

坂本龍一さんが亡くなったのは2023年3月28日です。父を語れる相手が身近にいるという事実は、残された側にとって思いのほか大きいはずです。同じ人を父と呼んで育った二人にしか共有できない話題が、そこにはあります。

ラジオで実現した初共演

二人がメディアで初めて顔を合わせたのは、2024年10月1日でした。場所は坂本美雨さんがパーソナリティを務めるTOKYO FM『坂本美雨のディア・フレンズ』です。

このとき空音央さんは、長編デビュー作『HAPPYEND』の公開直前という時期。姉が持つ番組にゲストとして招かれる形での共演になりました。

番組内で坂本美雨さんは「音央さんとじっくりメディアで話すのは初めてですね」と切り出します。すると空音央さんは「“音央さん”とか言うのも結構不思議な感じがします」と笑って返しました。

姉が弟を「さん付け」で呼ぶ距離感に、二人の歩んできた時間が表れていますよね。幼いころから同じ家にいた兄弟なら、まず出てこない呼び方です。

坂本美雨さんは『Ryuichi Sakamoto|Opus』についても「身内だからではなくて素晴らしいと思いました」と評価。空音央さんは「あれは自分が監督したという気持ちはあまりなくて坂本龍一がやりたいことの手助けになれればいいなみたいな、その一心ですね」と振り返っています。

それぞれが選んだ別の道

4人の兄弟は、進んだ方向がきれいに分かれました。音楽の家に生まれたからといって、全員が音楽をやるわけではないという見本のような並びです。

歌の世界に入ったのは坂本美雨さんだけ。1997年1月29日に「Sister M」名義でデビューし、翌1998年11月には本名でメジャーデビューを果たしています。

もっとも本人は、最初から歌手を目指していたわけではありませんでした。「親を見ていて、自分は表に立つような人間じゃないなあって思ってました」と語り、レコーディングエンジニアやジャケットデザインの仕事を考えていた時期もあったといいます。

弟の空音央さんは映像へ、兄の風太さんは芸能とは無縁の職業へ。姉にいたっては、そもそも表に出ていません。

それでも音楽から完全に離れられなかったのが、坂本美雨さんでした。29歳のころには新曲が出せない時期が続き、音楽をやめて別の仕事に就こうかと本気で悩んだと明かしています。相談した母から返ってきたのは「やめれば?」という一言でした。

突き放すようでいて、続けるかどうかを自分で決めさせる言い方でもあります。その先で歌い続ける道を選んだからこそ、いまの活動があるわけですね。

大きすぎる両親を持つと、同じ土俵に上がるかどうかは重い選択になります。4人が別々の答えを出したこと自体が、この一家らしさなのかもしれません。

坂本美雨の兄弟についてまとめ

坂本美雨さんの兄弟について、要点を整理しておきます。

  • 兄弟は本人を含めて4人。姉・兄・本人・弟という並び
  • 4人とも父か母のどちらか一方だけが同じで、全員がそろって暮らしたことはない
  • 兄は矢野風太さん。母と最初の夫との子で、客室乗務員として働くと伝えられている
  • 姉は父が藝大在学中の結婚で授かった長女。一般女性で氏名も職業も非公表
  • 弟は映像作家の空音央さん。『Ryuichi Sakamoto|Opus』『HAPPYEND』を手がけた
  • 姉と弟の存在を知ったのは13歳のとき。弟とは大人になってから関係を築いた
  • 2024年10月1日、ラジオ『坂本美雨のディア・フレンズ』で弟とメディア初共演

血のつながりはあっても、一緒に育った時間はほとんどない。それでも父が遺したものを介して、姉と弟は少しずつ距離を縮めてきました。

兄弟の形は一つではない、と教えてくれる関係です。

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