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M-1グランプリ2025で準優勝を果たし、一気に注目を集めたドンデコルテ。
そのボケ担当である小橋共作さんには、実は以前に別の相方がいました。結論からいうと、元相方は末次翔一さんで、「デビルポメラニアン」というコンビを約4年間組んでいます。
そして解散のあと、小橋さんは芸人を辞める寸前まで追い込まれました。
この記事では、小橋さんの元相方との歩みと、ドンデコルテ結成までの経緯を整理します。
目次
ドンデコルテ小橋の元相方は誰?デビルポメラニアン時代
まずは、元相方とどんなコンビを組んでいたのかを見ていきます。
- 元相方の名前とコンビ名
- 出会いはNSC東京校19期
- 4年で解散に至った経緯
元相方の名前とコンビ名
ドンデコルテの小橋共作さんの元相方は、末次翔一(すえつぐ しょういち)さんです。
2人が組んでいたコンビの名前は「デビルポメラニアン」といいました。悪魔とポメラニアンという、まったく釣り合わない組み合わせです。この時点でセンスの独特さが伝わってきます。
まずは小橋さんの経歴を整理しておきます。
| 本名 | 小橋川共作(こばしがわ きょうさく) |
| 生年月日 | 1989年6月17日 |
| 出身地 | 沖縄県宜野湾市 |
| 身長 | 166cm |
| 学歴 | 那覇国際高校 → 英語観光系の専門学校 → メリーランド大学グローバル・カレッジ校へ編入 |
| 養成所 | NSC東京校19期 |
| 元相方 | 末次翔一さん(コンビ名「デビルポメラニアン」) |
| 現在のコンビ | ドンデコルテ(2019年11月に正式結成) |
小橋さんは沖縄県宜野湾市の出身です。
学歴を見ると、なかなか異色の経歴をたどっています。那覇国際高校は沖縄県内でも屈指の進学校として知られる学校です。そこから英語観光系の専門学校へ進み、さらに米軍基地内にあるメリーランド大学グローバル・カレッジ校へ編入しています。
ただし、正規授業の単位は取得していないとされています。
沖縄で育ち、英語と観光を学び、基地内の大学に籍を置く。この流れ自体が、沖縄という土地ならではの選択肢といえるでしょう。
そして小橋さんは、お笑いの道を選んで上京します。入ったのがNSC東京校の19期でした。
デビルポメラニアンは、そこで出会った同期との組み合わせだったことになります。
なお、現在の相方である渡辺銀次さんにも元コンビの経歴があります。「マンキンタン」「エマ」といったコンビを経てきた人です。つまりドンデコルテは、それぞれが別の相方との時間を過ごしたあとに組まれたコンビということになります。
渡辺さんの経歴も簡単に触れておきましょう。
本名は渡邉博基さんで、1985年8月2日生まれ。山口県周南市の出身です。山口県立徳山高等学校を経て、東京都立大学の人文学部国文学科を卒業しています。
現在の「渡辺銀次」という芸名を使い始めたのは2022年1月1日からで、それ以前は別の表記で活動していました。
2人の経歴を並べると、共通点が見えてきます。どちらも地方の進学校から進学し、そのうえでお笑いの道に入った人です。そして、どちらも一度は別の相方と組んで、そこに区切りをつけています。
現在のドンデコルテは、そうした遠回りの上に成立したコンビということになります。
出会いはNSC東京校19期
小橋さんと末次翔一さんの出会いは、NSC東京校でした。2人は19期の同期になります。
NSCは吉本興業の養成所で、1年間かけてネタ作りや舞台のいろはを学ぶ場です。同期には数百人規模の若手が集まり、そのなかでコンビを組む相手を見つけていきます。
養成所で相方を見つけるというのは、お笑いの世界では王道の形です。
同じ授業を受け、同じ課題に取り組み、お互いのネタを見る機会が繰り返しあります。感性が合うかどうかを判断する材料が揃っているわけですね。
そうして小橋さんと末次さんは、2014年ごろにコンビを結成しました。
「デビルポメラニアン」という名前は、一度聞いたら忘れにくい響きを持っています。凶暴なイメージの「デビル」と、小型犬の代名詞である「ポメラニアン」を並べる。この落差そのものが笑いになる構造です。
若手コンビが名前で印象づけようとする意図が伝わってきます。
ちなみに、現在のコンビ名である「ドンデコルテ」も、意味を持たない独特の語感を持つ名前です。奇抜な言葉選びの感覚は、この頃から変わっていないのかもしれません。
デビルポメラニアンとしての活動期間は、約4年間に及びました。
養成所を出たばかりの若手にとって、4年というのは短くない時間です。この期間、2人はライブに出続け、賞レースにも挑み続けてきたことになります。
この4年間がどういうものだったかを考えてみましょう。
養成所を出た直後の芸人には、決まった仕事がありません。事務所のライブに出るための審査を受け、少しずつ出番を増やしていく段階です。多くの芸人がアルバイトと並行して活動しています。
M-1グランプリにも毎年挑戦していたはずです。デビルポメラニアンとして予選を戦い、結果を受け止め、また次の年に向けてネタを作り直す。その繰り返しでしょう。
同期のなかから頭角を現すコンビが出てくる時期でもあります。焦りを感じる場面も少なくなかったはずです。
そして4年目を迎えたところで、2人はコンビとしての区切りを選ぶことになります。
4年で解散に至った経緯
デビルポメラニアンが活動を終えたのは、2018年のことです。
正確には、2018年4月22日に解散ライブ「JETGIG」を開催し、そこで正式に活動を終了しています。
ここで多くの方が気になるのが、解散の理由でしょう。
しかし、この点についてははっきり書いておく必要があります。解散の明確な理由は公表されていません。
小橋さんも末次さんも、なぜコンビを解消したのかを公に語ってはいないのです。ネット上にはさまざまな推測が流れていますが、どれも裏付けのある情報ではありません。
ひとつ手がかりになるのが、解散の形です。
解散ライブを開催しているという事実は、それなりの意味を持ちます。日程を決め、告知をして、会場を押さえて、ファンを集める。この準備には時間がかかります。
つまり、ある日突然に関係が壊れて別れたわけではないということです。
参考になる個人ブログでも、突発的な決裂ではなく、区切りをつけた形での解散だった可能性が高いと見られています。お互いに納得したうえで、最後の舞台を用意して終わったという形でしょう。
芸人のコンビ解散といえば、不仲説や事件性を疑う声が出やすいものです。ただ、少なくとも表に出ている情報からは、そうした要素は確認できません。
4年間積み上げてきたものに、きちんと幕を引いた。デビルポメラニアンの終わり方は、そういうものだったと考えるのが自然です。
なお、元相方の末次翔一さんについては、この記事でこれ以上踏み込むことはしません。
コンビを解消したあとの進路は人それぞれで、表舞台から離れる選択をする人も少なくありません。すでに公の場にいない可能性のある方について、憶測で書くべきではないと考えるためです。
わかっているのは、NSC東京校19期の同期として小橋さんと出会い、4年間コンビを組み、解散ライブをもって活動を終えたという事実だけです。
その4年間があったこと自体は、消えるものではありません。
そして小橋さんにとって、本当に苦しい時期はこの後に訪れることになります。
元相方と別れた後|小橋がドンデコルテを結成するまで
続いて、コンビ解散から現在に至るまでの歩みを見ていきます。
- ピン芸人として味わった挫折
- 引退寸前で声をかけた相手
- お試しコンビからM-1準優勝へ
- ドンデコルテ小橋の元相方についてまとめ
ピン芸人として味わった挫折
デビルポメラニアンの解散後、小橋さんはピン芸人として活動を始めます。
挑戦したのは、ピン芸人の頂点を決める大会であるR-1グランプリでした。相方を失った芸人が次に目指す舞台として、自然な選択といえます。
ところが、ここで信じられない出来事が起こります。
小橋さんはネタを終えたあと、締めの「どうもありがとうございました」を5回も噛んでしまったのです。そのまま敗退しました。
ネタの内容ではなく、最後の一言でつまずいた。これは相当こたえたはずです。
しかも1回や2回ではありません。5回です。言い直すたびに舞台の空気が固まっていく感覚は、想像するだけで胃が痛くなります。
この失敗が、小橋さんを深く追い込みました。芸人を引退することを考えるほどの挫折だったと語られています。
コンビを解散し、ひとりで挑んだ舞台で、ネタ以前のところで崩れてしまった。積み上げてきた4年間が何だったのかと考えても不思議ではない状況です。
ここで芸人を辞めていれば、M-1グランプリの決勝に立つ小橋さんは存在しませんでした。
お笑いの世界では、実力があっても環境やタイミングが噛み合わずに消えていく人がたくさんいます。小橋さんも、その一歩手前まで来ていたことになります。
ピン芸人という立場の厳しさも、この挫折には関係していたかもしれません。
コンビであれば、片方が失敗しても相方がフォローできます。間が空いたときに言葉を挟み、空気が固まったときに動く。そうやって支え合うのがコンビの強みです。
ところがピンには、それがありません。舞台の上でつまずいたとき、立て直すのはすべて自分ひとりです。
4年間コンビとして舞台に立ってきた人が、突然ひとりで戦うことになった。その環境の差が、あの5回の噛みにつながった可能性もあります。
そしてこの経験は、皮肉にも次の一歩を決める材料になりました。ひとりでは戦えないと痛感したからこそ、もう一度組む相手を探すという発想が出てきたはずだからです。
引退寸前で声をかけた相手
芸人を辞めようとしていた小橋さんが、最後に取った行動がありました。
それは、自分が「最も面白い」と感じていた芸人に声をかけることでした。その相手が、現在の相方である渡辺銀次さんです。
この行動には、小橋さんという人がよく表れています。
辞めると決める前に、もう一度だけ可能性を試そうとした。しかも選んだのは、自分にとっての最高の相手でした。妥協して組める人を探したのではありません。
渡辺さんもまた、複数のコンビを経験してきた人でした。「マンキンタン」「エマ」といったコンビ歴があります。
つまり2人とも、それぞれ別の相方との時間を過ごし、それぞれに区切りをつけた状態でした。若手同士が勢いで組むのとは違う、経験を積んだ者同士の組み合わせだったわけですね。
そして小橋さんは、渡辺さんに大胆な提案をします。
渡辺さんは前のコンビまでツッコミを担当していました。それを、ボケに転向してほしいと持ちかけたのです。
長年やってきた役割を変えるというのは、簡単な話ではありません。それでも渡辺さんはこの提案を受け入れました。
引退寸前だった芸人の誘いに乗り、しかも自分の立ち位置まで変える。この決断があったからこそ、現在のドンデコルテが生まれたことになります。
この配役変更が、実は決定的でした。
ツッコミは、ボケの発言を受けて成立する役割です。相手が投げたものを打ち返す技術が求められます。長くツッコミをやってきた人は、笑いの構造を客観的に見る目が育っているものです。
その人がボケに回るとどうなるか。ツッコミ側の視点を持ったままボケを組み立てられるようになります。
どこで返されるかを分かったうえでボケる。この構造が、ドンデコルテの独特な間合いを生んでいるのかもしれません。
小橋さんが「最も面白い」と感じた理由も、単に笑わせる力ではなく、こうした構造の理解力だった可能性があります。
そして声をかけた側の小橋さんにとっても、これは最後の賭けでした。断られていれば、そのまま辞めていたかもしれないのですから。
お試しコンビからM-1準優勝へ
2人の活動は、いきなり正式なコンビとしてではなく、慎重な形で始まりました。
2018年、まずは「news38」という名前でお試しコンビとして動き出します。ゆにばーす主催の時事ネタライブに出るための、いわば仮の組み合わせでした。
いきなり本格的に組むのではなく、まず一緒にやってみる。お互いに解散を経験している2人らしい、堅実な進め方です。
そして手応えを得た2人は、2019年にコンビ名を「ドンデコルテ」に改名します。
同じ年のM-1グランプリで準々決勝に進出し、これをきっかけに正式なコンビとして活動していくことを発表しました。正式結成は2019年11月です。
そこからの歩みは、決して順風満帆ではありませんでした。
賞レースで結果を出すまでには、さらに年月がかかります。それでも2人は続け、ついに大きな舞台にたどり着きました。
2025年12月21日、テレビ朝日で開催されたM-1グランプリ2025の決勝です。
この年のM-1には、史上最多となる11,521組が出場していました。そのなかを勝ち抜いて、ドンデコルテは初の決勝進出を果たします。
そして結果は準優勝でした。
優勝したのは21代目王者となった「たくろう」で、最終審査では審査員9人のうち8票がたくろうに入り、ドンデコルテは1票を獲得しています。惜しくも王者の座には届きませんでした。
それでも、初出場でいきなり準優勝という結果は驚異的です。
小橋さんにとっては、沖縄県出身者として2016年のスリムクラブ以来、9年ぶりの決勝進出でもありました。地元にとっても大きな出来事だったわけですね。
結成から決勝まで、6年ほどかかった計算になります。
この年月の長さにも意味があるでしょう。お試しコンビから始まり、改名し、正式結成し、予選を戦い続けた。そのすべてが積み重なった先の決勝でした。
1万組を超えるなかでの準優勝は、運で届く場所ではありません。ネタの完成度と、それを本番で出し切る力の両方が必要になります。
そして忘れてはいけないのが、この舞台に立った小橋さんが、かつてR-1の舞台で締めの一言を5回噛んだ人だという点です。
同じ人が、史上最多の出場者を勝ち抜いて、テレビ朝日の決勝の舞台で最終決戦まで進みました。
元相方との解散、R-1での5回の噛み、そして引退の決意。そのすべてを経た先に、この舞台がありました。
ドンデコルテ小橋の元相方についてまとめ
ドンデコルテ・小橋さんの元相方について、わかっていることを整理します。
- 元相方は末次翔一さんで、コンビ名は「デビルポメラニアン」だった
- 2人はNSC東京校19期の同期で、2014年ごろにコンビを結成した
- 活動期間は約4年間
- 2018年4月22日に解散ライブ「JETGIG」を開催して活動を終了した
- 解散の明確な理由は公表されていない
- 解散ライブを開催していることから、突発的な決裂ではなく区切りをつけた形だったとみられる
- 解散後、小橋さんはピン芸人としてR-1グランプリに挑戦した
- ネタ終わりの「どうもありがとうございました」を5回噛んで敗退し、引退を考えるほどの挫折を味わった
- 辞める前に、最も面白いと感じていた渡辺銀次さんに声をかけた
- 渡辺さんはツッコミからボケへの転向を受け入れた
- 2018年にお試しコンビ「news38」として活動を開始し、2019年に「ドンデコルテ」へ改名
- 正式結成は2019年11月
- M-1グランプリ2025で初の決勝進出を果たし、準優勝に輝いた
元相方との4年間がなければ、その後の挫折もありませんでした。
そして挫折がなければ、引退寸前で渡辺さんに声をかけることもなかったはずです。デビルポメラニアンの解散は、遠回りに見えて必要な通過点だったのかもしれません。