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医師でタレントの木下博勝さんは、女子プロレスラー・ジャガー横田さんの夫としても知られています。その木下さんの実家がどこにあり、どんな家庭だったのか気になる方も多いのではないでしょうか。
木下博勝さんの実家は北海道深川市にあり、親戚のほとんどが医師、父親は病院勤めという家庭でした。
一方で、実家の資産や収入を本人が語った記録は確認できず、「金持ち」と言い切れる材料は見つかりませんでした。
この記事では、実家のある深川市のことから、父・母・弟との関係、故郷への帰省までを、本人の言葉と報道をもとに整理します。
目次
木下博勝の実家は北海道深川市|親戚に医師が多い家庭
- 実家の基本情報
- 実家がある深川市はどんな町
- 親戚は医師ばかりで父は病院勤め
- 実家は金持ちなのか
- 教育熱心な両親とバンド時代
まずは、実家の場所と家庭環境、そして「実家は金持ちなのか」という疑問について見ていきます。
実家の基本情報
木下博勝さんは1968年1月20日生まれ、北海道深川市の出身です。所属事務所の公式プロフィールにも、出身地は北海道深川市と記されています。
地元の北海道深川西高等学校を卒業したあと上京し、杏林大学医学部に進みました。その後、東京大学大学院の医学系研究科で博士課程を修了しています。専門は消化器外科です。
2004年に女子プロレスラーのジャガー横田さんと結婚し、2006年に長男の大維志さんが生まれました。2009年4月には鎌倉女子大学の教授に就任し、2020年11月にはさいたま新都心にクリニックを開きました。
医師としては、東京大学医学部附属病院の第一外科で研修を受けたあと、がんの研究や病院の副院長などを経験してきました。テレビの情報番組でコメンテーターを務めたほか、2007年にはジャガー横田さんとともに講談社主催の「ナイス・カップル大賞」を受賞しています。
実家について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 実家の場所 | 北海道深川市 |
| 深川で過ごした時期 | 高校卒業まで。卒業後に上京 |
| 親戚 | ほとんどが医師(本人談) |
| 父 | 病院勤め。医学部在学中に他界 |
| 母 | 教育熱心で厳しかったと紹介されている |
| 弟 | 8つ年下。2011年に病気で他界 |
| 実家の資産・収入 | 本人の発言や報道では確認できず |
実家の話は、本人がテレビ番組やインタビュー、Instagram、YouTubeで少しずつ明かしてきました。なかでも詳しいのが、2011年に北海道テレビ放送(HTB)で放送された『帰省なう』という番組です。
番組は2011年10月から12月にかけて全12回が放送され、木下さんは最後の2回に登場しました。一家の帰省に密着した内容です。実家での母親とのやり取りや、亡くなった父親への思いが紹介されています。
なお、両親や弟、親戚は一般の方です。この記事では、本人や番組が公にした範囲の内容だけを取り上げます。ここからは、実家の様子を順に見ていきましょう。
実家がある深川市はどんな町
深川市は、北海道のほぼ中央に位置する市です。市の公式サイトによると、石狩川と雨竜川の流域に水田が広がる道内有数の稲作地帯で、札幌からはJRの特急でおよそ1時間、旭川からは26キロメートルの距離にあります。札幌を中心とする道央と、旭川を中心とする道北を結ぶ交通の要衝とも紹介されています。
明治時代に屯田兵が入植し、開拓が進んだ土地でもあります。市の小史によれば、当初の米作りは寒さや水不足で失敗が続いたものの、屯田兵のひとりが1896年に稲の栽培に成功し、その後に用水路が整えられて水田が広がっていきました。深川町と周辺の村が合併して深川市が誕生したのは、1963年のことです。
木下さんは2023年に公開したYouTubeの動画で、自分の家は山口県から移り住んだ屯田兵の家だと話していました。深川についても、特急が止まる駅のある古い町だと紹介しています。
木下さんは高校を卒業するまで、この深川市で育ちました。
子供の頃の様子については、教育学術新聞のインタビューでこう語っています。「家に居るのが多かったですね。父親の勧めで、柔道、相撲、冬はスキーをやらされました。スキーは続けましたが、柔道や相撲は中学までで、高校ではやりませんでした」。
雪の多い土地でもあります。同じYouTubeのシリーズでは、冬は雪が2メートル以上積もり、ひと冬に2回は業者に頼んで雪を下ろさないと家に日が当たらなくなる、と故郷の暮らしを振り返りました。吹雪で前が見えない中を歩いて下校したこともあったそうです。
北海道は1年の半分くらいが冬だといい、雪については楽しい思い出よりも毎日の作業の大変さが先に浮かぶとも話していました。本人は故郷を田舎と呼びますが、厳しい冬の暮らしを知っているからこその言葉なのでしょう。
受験勉強の面では、苦労もあったようです。YouTubeの対談では、周りに医学部を目指す人がほとんどおらず、どう勉強すればよいのかも分からなかったと振り返っています。
親戚は医師ばかりで父は病院勤め
木下さんが育ったのは、医療がとても身近な家庭でした。教育学術新聞の記事には、親戚がほとんど医者で、父親も病院勤めだったと書かれています。
2023年に公開された別のYouTubeの対談では、父親は医師ではなかったと本人が明かしました。親戚の中で父親だけが医師でなかったこともあってか、幼い頃から一緒に風呂に入るたびに、医者になるようにと言われ続けたそうです。
木下さんは、父親には自分だけが医師でないことへの引け目があったのではないか、とも話しています。父親は亡くなる前、弟さんの医学部進学にも力を貸してほしいと木下さんに頼んでおり、息子たちを医師にしたいという思いは強かったようです。
父親自身は医師ではなく、医師の多い親戚に囲まれて育ったというのが実際のところです。
医師を志したきっかけも、親戚の存在でした。小学校に上がる前、叔父の病院に遊びに行ったときのことです。叔父が患者に注射をすると、患者は「先生、ありがとう」と言ったといいます。
木下さんはこの場面について「痛いことされた患者さんから感謝される。なんて有難い、いい仕事なのか、幼心に、そう決心しました」と語っています。それ以来、医師以外の道を考えたことはなかったそうです。対談の動画にも「医者一択の人生だった」という題が付けられていました。
父親は勉強だけでなく、体を動かすことにも熱心でした。家にいることの多かった木下さんに、柔道や相撲、スキーを勧めたのも父親です。
親戚のうち話に登場するのは病院にいた叔父だけで、ほかの親戚の名前や勤務先は語られていません。叔父の病院がどこにあったのかも明かされていません。
なお、父親の具体的な職種や勤務先は公表されていません。インターネット上には「実家が病院なのでは」という見方もありますが、インタビューに出てくるのは「叔父の病院」と、病院勤めだった父親の話までです。実家そのものが病院だったという話は、本人の発言や報道では確認できませんでした。
実家は金持ちなのか
木下さんの実家については、「裕福な家だったのでは」という声も見られます。親戚に医師が多く、私立大学の医学部に進んでいることから、そう想像されやすいのでしょう。
しかし、実家の資産や収入について、本人が語った記録や報道は確認できませんでした。
確認できたのは、暮らしぶりをうかがわせるいくつかの話です。木下さんはYouTubeの動画で、大学生の頃まで家族が暮らしていた家を、大きな家だったと振り返っています。冬の除雪を業者に頼んでいたという話も、実家を紹介した動画のシリーズに出てきます。
また、医学部を目指して浪人した1年間は、全寮制の医学部専門予備校で過ごしました。予備校の寮は千葉県の船橋にあり、そこから毎日電車で両国まで通ったそうです。
受験の面では、高校を卒業する時点で歯学部に合格しており、翌年は5校から合格を得ました。複数の大学を受けられる環境にあったことは確かです。
ただ、何年でも浪人できるという雰囲気ではなかったようです。父親からは、一浪は許すが、次に受からなければ働いてもらうと言い渡されていたと話しています。教育にお金をかける家庭だったことはうかがえますが、それ以上のことは分かりません。
木下さん自身の暮らしについては、本人の発言があります。2025年7月、医師の平均年収を取り上げた記事に触れ、Instagramに「他と比較するのも変なのですが、自家用車有りません、家は賃貸です。貯金も、僅かしか有りません」とつづりました。投稿は「でも幸せです。仕事のやり甲斐かな~」と結ばれています。
同じ年の10月には、帝国データバンクの調査として、医療機関の倒産が64件、休廃業・解散が722件でどちらも過去最高だったことを紹介し、「つまり、医師=高収入の時代では無くなりました。」とも書いています。医師の家系と聞くと裕福な印象を持ちやすいものの、実家についても本人についても、「金持ち」と言い切れる材料はありませんでした。
教育熱心な両親とバンド時代
『帰省なう』では、木下さんの両親が教育熱心で厳しかったことが紹介されました。医師になるため、子供の頃から勉強が生活の中心だったといいます。木下さんは両親に対して「冷たい」「もう少し優しくしてくれてもいいのでは」と思っていたそうです。
その反発からか、高校時代はバンドに熱中しました。本人は「高校2、3年の時、当時のインディーブームに乗って、バンドをやっていました。4人編成で、ぼくはギターとボーカル、札幌まで特急で2時間もかけて出かけ、ライブハウスに出演していました」と語っています。
記事によると、レコードも2枚出したそうです。ただ、その代償は小さくありませんでした。「このバンドに熱中したのがたたって、1年間浪人することになりました」と本人は振り返っています。
当時の姿は、のちに家族の手で紹介されました。2022年9月、長男の大維志さんが、髪を逆立ててマイクスタンドを握る若き日の木下さんの写真をInstagramに載せ、今との違いに驚く声が集まりました。
高校の卒業式には出席していません。2025年3月のInstagramで、「歯学部の合格は有りましたが、医学部はダメで浪人が決まり、また両親が担任に対してメチャクチャ怒っていたので不参加、という事態に」と明かしました。進路をめぐって、両親と担任がぶつかっていたのです。
投稿によると、担任は両親に「木下君は医学部は無理です。」「何浪しても無理です。」と告げたといいます。父親は激しく怒り、「受かったら謝れよ!」と言い返したそうです。
浪人中は、東京にあった両国予備校に通いました。全寮制で、強制的に勉強させられる環境だったと話しています。
そして、Instagramには「翌年、5校の合格証を持って母校を訪問」と書かれていました。担任だった先生は、ばつが悪そうに笑いながら謝ってくれたと振り返っています。
父親が担任に言い切ったとおり、木下さんは翌年に医学部合格を果たしたのです。
木下博勝の実家と家族|父・母・弟と故郷への帰省
- 医学部在学中に父が他界
- 厳しかった母との関係
- 弟を亡くした年の帰省
- 息子と訪ねた深川の実家
- 木下博勝の実家まとめ
ここからは、実家の家族一人ひとりとの関係と、故郷への帰省について見ていきます。
医学部在学中に父が他界
木下さんは高校卒業後に上京し、翌年、念願の医学部に合格しました。しかし『帰省なう』によると、支えだった父親が亡くなったのは、それからまもなくのことでした。
父親は、木下さんが医学部に在学していた頃に病気で亡くなりました。
木下さんの話に出てくる父親は、息子の将来に強い期待をかけた人でした。幼い頃から医師になるよう言い聞かせ、高校の担任に医学部は無理だと言われたときには、必ず受かると言い返しています。
当時のことは、2024年2月のInstagramで本人が詳しく書いています。「悪性リンパ腫という病気で、発見して即入院、1ヶ月で死亡でした」。亡くなる1週間前には、東京から入院先の病院へ見舞いに行き、30分ほど話したそうです。
そのとき、父親から遺言のように頼まれたことがありました。ひとつは「お前の子供、孫迄は医師にして欲しい」というもの。もうひとつは「弟の医学部進学にも協力して欲しい」というものでした。
木下さんはこの頼みを重く受け止め、長男の大維志さんには何としても医学部に進んでほしいと考えていたそうです。その考えがのちに変わった理由は、次の母親の話に出てきます。
父親への思いは、長く胸に残っていたようです。『帰省なう』では、母親に向かって「親父が死んだとき、冷たい態度を取ったんじゃないかと。申し訳なかったと思ってる」と打ち明ける場面がありました。番組は、木下さんがいまだに後悔の気持ちを抱えていると伝えています。
父親が亡くなったあと、一家はそれまでの家から別の家へ移りました。木下さんがYouTubeの動画で話したところでは、生まれ育った家はその後取り壊されたそうです。
木下さんは長男が生まれてから、親への見方が変わったとも話しています。講演会の講師紹介サイトのインタビューでは、「一児の父となり、子育てはこんなにも大変なことなんだと実感し、自分の両親に対する感謝の気持ちを新たにした次第です。」と語りました。
厳しかった母との関係
母親との関係について、妻のジャガー横田さんは「ドライな親子」と表現しています。2011年の『帰省なう』で紹介された言葉です。
番組では、約半年ぶりの帰省にもかかわらず、親子の会話がなかなか弾まない様子が映されました。話題作りにと、母親が持ち出したのはアルバムの山です。料理が不得意だという母親は、木下さんの好物のカレーライスを作って待っていました。
ところが木下さんの返事は、「ふつう」「他の料理を作ってもらった記憶がない」という素っ気ないものでした。番組は、その態度の底には幼い頃から抱えてきた寂しさがあるのかもしれない、と伝えています。
番組によると、思春期を迎えた木下さんの反抗心は母親に向けられました。上京してからは多忙な毎日もあって、母親と向き合う時間を持てずにいたそうです。
結婚のときにも、ひと山ありました。教育学術新聞のインタビューによると、年齢や職業のこともあって反対され、1年間は会ってもらえなかったそうです。本人は「最後に、母がカミサンと30分だけ会ってくれました。そのあとで、母は『この人ならいい』と言ってくれました」と振り返っています。
そんな母親の一言が、木下さんの考えを変えたこともありました。父親の願いを受けて息子を医学部に進ませようとしている、と母親に話したときのことです。返ってきたのは「そんなの本人のやりたい道に進ませなよ。私が許可するから。」という言葉でした。
木下さんは「あんなに僕や弟に口うるさかった母が」と驚いたそうです。Instagramには「数年前の母の一言で、JJは自分が選んだ道を歩ませようと決めました。」と書いています。JJは長男の大維志さんの愛称です。
2024年11月には、「昨日はJJと二人で、母を訪ねました。」と報告しました。母親の手元には木下さんの成人式の写真があり、「誕生日のお祝いをもらって帰って来ました。」ともつづっています。ドライと言われた親子ですが、行き来は続いていたことが分かります。
弟を亡くした年の帰省
木下さんには8つ年下の弟がいました。弟さんは2011年3月に病気で亡くなり、木下さんは自身のブログでそのことを報告しています。公表するかどうか迷ったものの、「自分のために、書かせていただいた。」と記していたと報じられました。
当時の報道によると、若い頃の兄弟仲は良くなかったものの、ジャガー横田さんとの結婚に家族中が反対する中で、弟さんだけが応援してくれたそうです。離れて暮らすようになってからも、年に数回は一緒にお酒を飲む仲だったといいます。
『帰省なう』の木下さんの回が放送されたのは、同じ年の12月でした。弟さんは母親と同居していたため、木下さんは母親に東京で一緒に暮らすよう勧めたそうです。しかし母親は「一人が楽」と応じませんでした。
番組では、実家は母親と叔母が2人で暮らす家として紹介されています。弟さんを見送ったあとも、母親は住み慣れた土地に残ることを選んだわけです。
その夜、木下さんは母親と2人きりになり、長年言えなかった気持ちを口にしました。「お袋がいなかったら今の僕はいない…。ありがたい気持ちで一杯です」。番組の最終回で放送された場面です。
弟を亡くした年の帰省で、木下さんは初めて母親に感謝の言葉を伝えました。
翌朝、母親は「初めて感謝の言葉をききました。お父さんになるとそういうことを感じることができるようになったんだな」と話しています。帰省を終えた木下さんは、「自分が親にしてもらったことを息子にもすることが、僕の親としての愛情なのかと思っている」と語りました。
弟さんへの思いは、その後も折に触れて明かしています。2023年8月には弟さんの写真を公開し、「弟の顔を忘れない様に、写真を撮って来ました。喜んでくれてるかな」とつづりました。
2026年8月には、弟さんに何度も受診を勧めていたことを振り返っています。「もっと強く受診を勧めていれば。どうにかして治療を続けさせていれば。今でも、そう考えることがあります」。医師として血圧の管理を呼びかける投稿の中での言葉でした。
息子と訪ねた深川の実家
2023年の夏、木下さんは長男の大維志さんを連れて深川を訪ねました。その様子は、家族のYouTubeチャンネルで「ついに初公開木下博勝の実家!!」という題の動画として、同じ年の9月に公開されました。木下さんにとっても久しぶりの深川だったようです。
動画は、札幌のホテルを出て列車で深川へ向かうところから始まります。深川の駅に降り立ち、町の様子を紹介しながら実家へ向かいました。実家の部屋には、大維志さんの写真がたくさん飾られていたそうです。
動画に映る実家は、木下さんが生まれ育った家ではなく、父親が亡くなった頃に家族が移った家でした。
木下さんは動画の中で、この家に自分は住んだことがないと説明しています。引っ越しは木下さんが東京の大学に通っていた頃のことで、子供時代を過ごした家はすでに取り壊されたといいます。動画の終わりには、このあと納骨堂へお参りに行くと話していました。
後日公開された動画では、帰省の裏話も語られています。夕食は高校の同級生が営む寿司店でとり、話が盛り上がってつい飲みすぎてしまったそうです。同級生は昔のことをよく覚えていて、先輩から会いたいと声がかかったのもうれしかったと話していました。
深川については、屯田兵が開拓した歴史のある町だと紹介しています。高校の同じ学年からは衆議院議員も出ていると話し、故郷への誇りものぞかせました。
一方で、実家に帰るとすることがなく、時間を持て余してしまうとも明かしています。大維志さんの反応も気がかりだったようですが、思っていたより町にいろいろあると言っていたそうです。
2011年の『帰省なう』は家族3人での帰省でしたが、このときは父と息子の2人旅でした。滞在は短く、移動は車が中心だったため、ゆっくり町を歩いて回る時間はあまりなかったといいます。
父親の遺した願い、母親の一言、そして息子との帰省。深川の実家をめぐる話には、親から子へ受け継がれるものが繰り返し登場します。
木下博勝の実家まとめ
木下博勝さんの実家について、分かっていることをまとめます。
- 実家は北海道深川市にあり、高校卒業まで深川で育った
- 親戚のほとんどが医師で、父親は病院勤めだった(父親自身は医師ではない)
- 父親の職種や勤務先、実家の資産・収入は公表されておらず、「金持ち」と言い切れる材料は確認できなかった
- 両親は教育熱心で厳しく、高校時代はその反発からバンドに熱中して1年浪人した
- 父親は医学部在学中に病気で亡くなり、子供や孫まで医師にしてほしいという願いを遺した
- 母親とは「ドライな親子」と言われたが、2011年の帰省で初めて感謝の言葉を伝えた
- 8つ年下の弟を2011年3月に病気で亡くしている
- 2023年に長男と深川を訪ね、実家を動画で初めて公開した
医師の多い親戚と、厳しくも熱心な両親のもとで育ったことが、医師・木下博勝さんの原点になっています。故郷や家族について語る言葉にも、これから注目していきたいですね。

