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こわもての名脇役・遠藤憲一さんがどんな高校に通っていたのか、気になって検索された方も多いのではないでしょうか。
遠藤憲一さんは、本人いわく「偏差値38」の高校に進学し、高校1年の2学期に中退しています。
中退のきっかけは、ロッカーにしまっていた教科書を学校に燃やされたことだったと、本人がラジオで明かしています。
この記事では、遠藤憲一さんの高校時代と、中退してから俳優になるまでの道のりを、本人の言葉をもとに整理します。
目次
遠藤憲一の高校は?偏差値38の高校を1年で中退
- 最終学歴は高校中退
- 勉強嫌いで野球好きの少年
- 本人が明かした「偏差値38」
- 教科書を燃やされて中退
まずは、遠藤憲一さんの高校時代から見ていきます。
最終学歴は高校中退
遠藤憲一さんは1961年6月28日生まれ、東京都品川区の出身です。1983年にドラマデビューし、悪役として長く活躍したのち、2009年の『湯けむりスナイパー』で連続ドラマ初主演を果たしました。
| 出身地 | 東京都品川区 |
| 高校 | 校名は確認できず(本人いわく「偏差値38」) |
| 中退した時期 | 高校1年の2学期 |
| 中退のきっかけ | ロッカーの教科書を学校に燃やされた |
| 最終学歴 | 高校中退 |
| 中退後 | アルバイトを転々→劇団へ→無名塾を10日で離脱 |
| ドラマデビュー | 1983年『壬生の恋歌』 |
遠藤憲一さんは高校を1年の途中で辞めているため、最終学歴は高校中退です。大学には進学していません。
ネット上には具体的な高校名を挙げる記事もありますが、報道や本人の発言で校名を確認することはできませんでした。この記事では、確認できない校名は書かず、本人が語った高校時代の話を中心に紹介します。
勉強嫌いで野球好きの少年
遠藤憲一さんは、小さいころから勉強が得意なタイプではありませんでした。
2021年の週刊女性のインタビューを紹介したアーバンライフ東京の記事によると、小学生のころからじっとしているのが苦手で、勉強嫌いな子どもだったそうです。
2026年9月にゲスト出演したJ-WAVEのラジオ番組でも、「中学の頃から勉強が好きじゃなかった」と振り返っています。一方で、野球が好きなごく普通の少年だったといいます。
育ったのは団地で、父はガス会社の配管工事の仕事をしていた職人でした。遠藤憲一さんは、両親について「お袋も親父もあまりうるさいほうではなくて」と話していて、勉強や生活のことで何か言われた記憶はほとんどないそうです。
勉強はしないけれど、野球が好きな少年。のちに俳優になる気配は、この時期にはまだまったくなかったようです。
本人が明かした「偏差値38」
遠藤憲一さんが進学した高校について、本人はテレビで「偏差値38」と明かしています。
2018年のデイリー新潮によると、遠藤憲一さんがテレビ番組で、自身が通った高校の偏差値が38だったと話し、その高校の入試の数学問題を紹介したことが話題になりました。週刊女性のインタビューでも、「いちばん偏差値の低い高校」に入ったと語っています。
入学した高校には、いわゆる“不良”もいたそうです。ラジオ番組では「一緒の帰り道だった友達が不良のやつで、いろいろ教育されて…中途半端な悪いやつだけどね」と笑いながら振り返っていました。
週刊女性のインタビューによると、高校1年の夏休みごろには、すっかりツッパリになっていたといいます。
ただし、偏差値の数字は本人が自ら話したものです。校名が分からない以上、偏差値から高校を特定することもこの記事ではしません。
教科書を燃やされて中退
高校を辞めることになったきっかけは、少し変わった出来事でした。
2026年9月のJ-WAVEの番組で、遠藤憲一さんは中退の理由をこう語っています。高校1年の夏休み前、「どうせ勉強しないと思って」学校のロッカーに教科書を入れて鍵を締めたまま、夏休みを迎えました。
休み明けに登校すると、ロッカーの鍵はこじ開けられて中は空っぽ。「教科書盗まれた」と教師に訴えると、返ってきたのは「盗んだんじゃない、燃やしたんだ」という答えでした。
教師は、ロッカーに入れっぱなしの教科書は燃やすと生徒に伝えていたそうですが、遠藤憲一さんにとっては初耳。それでも「聞いてないの、お前だけだ」と一蹴されてしまいます。
「教科書もう1回そろえろ」と言われた遠藤憲一さんは、「じゃあいいです。俺、教科書なしでいいです」と反発。学校には、教科書を忘れると授業中に後ろに立たされるルールがあり、授業のたびに立たされることになりました。
「そういうことをやっているうちにもう行くの嫌になっちゃって高校1年の2学期の何日か後に中退した」
こうして遠藤憲一さんは、高校1年の2学期に学校を辞めることになりました。
遠藤憲一の高校中退後|俳優になるまで
- 家でごろごろしていた日々と父
- 広告で見つけた劇団
- 無名塾をわずか10日で離脱
- 中退が役者になるきっかけに
- 遠藤憲一の高校まとめ
ここからは、高校を中退してから俳優になるまでの道のりを見ていきます。
家でごろごろしていた日々と父
高校を辞めた遠藤憲一さんは、アルバイトを始めたものの長続きせず、途方に暮れる日々を過ごしていたそうです。
両親は、息子が高校を辞めたことに「ちょっとガッカリしてました」と遠藤憲一さんは振り返っています。
この時期には、父との忘れられない出来事もありました。アルバイトも辞めて家でごろごろしていたとき、父から「お前はゴロゴロして、ろくな人間じゃねぇな」と言われ、つい「自分だってろくな仕事してねぇじゃん」と口答えしてしまったのです。
日本経済新聞の連載で、遠藤憲一さんは父のことを「給料は閉じたままお袋に渡していて、遊び歩くこともなく、真面目で素朴な父親」と語っています。そんな父に向かって、言ってはいけない言葉を口にしてしまったわけです。
一度も怒ったことのなかった父に、そのとき初めて手を上げられたといいます。遠藤憲一さんは「自分自身も迷っていた時期だったので、いまだにそのときのことを思い出す」と、今も反省していると語っています。
広告で見つけた劇団
そんな遠藤憲一さんの人生を変えたのが、たまたま目にした劇団員募集の広告でした。
軽い気持ちで応募して入った芝居の養成所で、遠藤憲一さんは役者の仕事に興味を持つようになります。2026年のテレ東のインタビューでは、役者としての転機の一つに「広告で目にした芝居の養成所に入ったとき」を挙げていました。
演劇を始めると、両親の反応も変わりました。「ちょっとグレちゃったようなやつが、急に演劇始めて、応援してくれましたね」と、遠藤憲一さんは両親への感謝を語っています。
父は、俳優になった息子の活躍を喜び、正月に実家に帰ると「頑張ってるなぁ」と声をかけてくれたそうです。
公式のプロフィールではドラマデビューは1983年とされていますが、それより前の1979年には、特撮ドラマ『バトルフィーバーJ』にゲスト出演しています。高校を辞めてから数年で、遠藤憲一さんはテレビの世界に足を踏み入れていたわけです。
テレ東のインタビューでは、転機として「その養成所を辞めて自主公演を立ち上げたとき」も挙げています。仲間と自分たちで舞台を作った経験が、のちの役者人生につながっていきました。
無名塾をわずか10日で離脱
演劇に目覚めた遠藤憲一さんは、仲代達矢さんが主宰する名門劇団・無名塾の選抜試験に合格します。ところが、わずか10日ほどで劇団を離れてしまいました。
2018年のインタビューで、その理由を「朝が早いことに耐えられませんでした」と明かしています。空気の重さや規律の厳しさに加え、アルバイト時代からの辞め癖も抜けていなかったようです。
その後は別の劇団や事務所に移って活動を続け、1983年のNHKのドラマ『壬生の恋歌』でドラマデビューを果たしました。10日間だけの師匠だった仲代達矢さんとは、のちに映画『金融腐蝕列島 呪縛』で共演を果たしています。
下積み時代は長く、4畳半の風呂なしアパートで暮らしていたそうです。職業欄に「俳優」と書く自信がなく、「自由業」と書いたこともあったと振り返っています。
中退が役者になるきっかけに
教科書を燃やされたことに反発して高校を辞めた遠藤憲一さん。当時は教師を恨んだそうですが、今ではその出来事を前向きに受け止めています。
「その時は先生を恨んだけど、後々役者やるきっかけは教科書燃やされて学校を辞めたからこの世界に入れたんで」
勉強嫌いだった遠藤憲一さんですが、役者の仕事が少なかった下積み時代には「自らが出演できる作品を作るために」と脚本の勉強を始め、探偵ドラマの脚本を書いてテレビ局に持ち込んだこともありました。ドラマ『刑事貴族2』では、実際に脚本を担当した回もあります。
高校を中退していなければ、劇団員募集の広告を目にすることもなかったかもしれません。遠回りに見えた10代の日々が、名脇役・遠藤憲一の出発点になったわけです。
俳優のキャリアが40年を超えた今も、遠藤憲一さんは「満足できた役なんてほとんどない」と語り、台本と格闘し続けています。勉強嫌いだった少年は、役づくりにはとことん真面目に向き合う俳優になりました。
遠藤憲一の高校まとめ
- 遠藤憲一さんは東京都品川区出身で、最終学歴は高校中退
- 進学した高校は本人いわく「偏差値38」で、校名は確認できない
- 小学生のころから勉強嫌いで、野球が好きな少年だった
- 高校1年の夏休みにロッカーの教科書を燃やされ、反発して2学期に中退した
- 中退後は家でごろごろし、父に初めて手を上げられたこともあった
- 劇団員募集の広告をきっかけに演劇の世界へ入り、無名塾は10日ほどで離れた
- 1983年にドラマデビューし、今では「中退したからこの世界に入れた」と語っている
遠藤憲一さんの高校生活は、わずか半年ほどで終わりました。
それでも、教科書を燃やされて学校を辞めたことが、結果的に役者の道へつながりました。回り道をしてたどり着いた俳優という仕事に、遠藤憲一さんは今も全力で向き合い続けています。

