記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
『課長島耕作』シリーズや『勇者ヨシヒコ』シリーズで知られる俳優の宅麻伸さん。二枚目俳優として長く活躍してきた宅麻さんが、どんな学歴の持ち主なのか気になった方も多いのではないでしょうか。
宅麻伸さんは中学卒業後に三井造船の造船所で働きながら、地元・岡山県玉野市の定時制高校に通っていました。
大学には進学しておらず、高校卒業と同時に上京。職場の先輩のひと言をきっかけに俳優を目指し、天知茂さんの事務所に入ったことで芸能界への道が開けました。
この記事では、宅麻さん本人がインタビューで語った言葉をもとに、学歴と俳優デビューまでの道のりを整理します。
目次
宅麻伸の学歴は定時制高校卒業|造船所で働きながら学んだ10代
- 最終学歴は定時制高校の卒業
- 三井造船発祥の地・玉野市
- 中学卒業後すぐ造船所へ
- 4年制の定時制高校に通う
- 鉄板に線を引く「けがき」
まずは、宅麻さんの学歴と、働きながら学んだ10代の日々を見ていきます。
最終学歴は定時制高校の卒業
宅麻伸さんは1956年4月18日生まれ、岡山県玉野市出身の俳優です。本名は詫摩繁春(たくま・しげはる)といいます。
学歴について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 出身地 | 岡山県玉野市 |
| 中学校 | 地元の中学校(校名は本人から語られていない) |
| 高校 | 4年制の定時制高校(現在の玉野市立玉野備南高校)造船科 |
| 在学中の仕事 | 三井造船の造船所で勤務 |
| 大学 | 進学していない |
| 高校卒業後 | 上京し、天知茂の事務所に入る |
宅麻さんの最終学歴は、定時制高校の卒業です。人物事典では、通っていたのは玉野市立玉野備南高等学校の造船科(定時制)と紹介されています。
玉野備南高校は1948年に玉野市立の高校の定時部として開校し、2003年に現在の校名になりました。今も昼間と夜間の定時制課程を持つ市立高校で、同校の著名な出身者として宅麻さんの名前が挙げられています。
三井造船発祥の地・玉野市
宅麻伸さんが育った岡山県玉野市は、瀬戸内海に面した造船の町です。
2019年のインタビューで宅麻さんは、「俺は地元が、三井造船発祥の地でもある岡山の玉野市ってところでさ」と語っています。町には大きな造船所があり、地元の若者にとって身近な就職先でした。
宅麻さんの学歴を語るうえで、この土地柄は欠かせません。造船所で働きながら学ぶという10代の過ごし方は、造船の町・玉野ならではの選択だったといえそうです。
なお、ネット上には子供の頃は福岡県で過ごし、中学時代に玉野市へ移ったとする紹介もあります。ただ、本人はインタビューで「岡山の玉野市出身」と話しており、この記事では本人の言葉に沿って紹介しています。
中学卒業後すぐ造船所へ
宅麻伸さんは中学を卒業すると、すぐに地元の造船所に就職しました。
日刊ゲンダイのインタビューでは、「僕は岡山の玉野市出身で、中学卒業後、定時制高校に通いながら、地元の三井造船の造船所で働いていました」と話しています。昼は造船所で働き、夜は高校で学ぶ、いわゆる勤労学生だったわけです。
中学を出てすぐに社会に出るのは、当時でも簡単なことではなかったはずです。それでも宅麻さんは、仕事と学業を両立させながら高校卒業までやり遂げています。
2019年のインタビューでは、「一緒に造船所入った同級生たちなんて、もうとっくに定年退職の年齢だからね」とも話していました。同じ時期に造船所に入った仲間たちが、そのまま地元で働き続けたことがうかがえます。
4年制の定時制高校に通う
宅麻伸さんが通ったのは、4年制の定時制高校です。
定時制高校は、働きながら学ぶ生徒のために、夜間などに授業を行う高校です。全日制の高校が3年で卒業するのに対し、定時制は4年かけて卒業するのが一般的でした。宅麻さんも「働きながら4年制の定時制高校に通った」と振り返っています。
人物事典によると、在籍していたのは造船科でした。造船所で働きながら、造船について学ぶ学科に通っていたことになります。仕事と学びが直結していたわけで、地元の産業を支える人材を育てる学校だったことがうかがえます。
中学卒業から高校卒業までの4年間、宅麻さんは昼の仕事と夜の授業を続けました。この経験が、のちに「何事もとにかくまずは続けてみること」という仕事観につながっていきます。
鉄板に線を引く「けがき」
造船所での宅麻伸さんの仕事は、「けがき」と呼ばれる作業でした。
日刊ゲンダイのインタビューで、「設計図を見ながら、“けがき”といって、鉄板に実寸をマーキングする作業をしていた」と説明しています。けがきは、船の部品となる鉄板に、切断や加工のための線を正確に書き込む工程です。
船づくりの最初の段階を担う、正確さが求められる仕事だったわけです。のちに二枚目俳優として知られる宅麻さんが、10代を鉄板と設計図に向き合って過ごしていたというのは意外ですよね。
図面を読み取り、それを形にしていく作業は、台本を読み込んで役を形にする俳優の仕事と、どこか通じるところがあるのかもしれません。
宅麻伸の学歴と俳優への道|高校卒業と同時に上京した理由
- 先輩のひと言で役者の道へ
- 4月に上京しキャバレーで働く
- 天知茂の事務所へ
- 芸名は天知茂が命名
- 宅麻伸の学歴についてまとめ
ここからは、高校卒業を前にした決断と、俳優としてデビューするまでの歩みを見ていきます。
先輩のひと言で役者の道へ
宅麻伸さんが俳優を目指したきっかけは、造船所の職場の先輩のひと言でした。
定時制高校の卒業が近づいた頃、宅麻さんはすでに就職しているにもかかわらず、「自分も何かをしなきゃ」と気になっていたといいます。そんなモヤモヤを抱えていたとき、職場の先輩から何の気なしに「おまえ、役者とかモデルとか、そういうの目指さないの?」と聞かれました。
「それまでいっさいなかった選択肢をポンッと出されて、『えっ、そういう世界もあるんだ』って」と、宅麻さんは当時を振り返っています。
「まだ若かったから、そこからの決断は早かったよね」と、宅麻さんは迷わず役者の道を選んだことを明かしています。
造船所で働き続ける道もあったなかで、先輩のひと言が人生を大きく変えました。宅麻さんは今も、「この道に進むひと言をくれた先輩」に感謝していると話しています。
4月に上京しキャバレーで働く
俳優を目指すと決めた宅麻伸さんの行動は早いものでした。
2019年のインタビュー記事に添えられたプロフィールによると、造船所の雇用期間の満了と高校卒業が重なったタイミングで、宅麻さんは上京を決めました。本人は「役者になるならとにかく東京だと思ったから、4月には上京して、池袋のキャバレーで住みこみで働いて」と語っています。
芸能界にコネもなく、右も左も分からないままの東京暮らしでした。大学に進まず、働きながら夢を追う生活が始まったわけです。
造船所の勤労学生から、池袋のキャバレーの住み込み従業員へ。環境は大きく変わりましたが、働きながら次の道を探すという点では、10代の頃と変わらない日々だったといえそうです。
天知茂の事務所へ
宅麻伸さんに転機が訪れたのは、上京してまもなくのことでした。
昼ごはんをよく食べに行っていた店の人が、たまたま「天知プロなら知ってるよ」と紹介してくれたのです。その1か月後には、目の前に大スターの天知茂さんがいたといいます。「ホント、チャンスはどこに落ちてるか分からないよね」と宅麻さんは笑っています。
天知さんの事務所に入った宅麻さんは、天知さんが明智小五郎を演じた土曜ワイド劇場「江戸川乱歩の美女シリーズ」の現場などに連れて行ってもらい、端役で出演しました。天知さんに鍵を渡すだけの役で震えたそうです。
俳優の養成所にも入りましたが、最初は発声練習を人前でやることに抵抗があったとも明かしています。同期には二枚目俳優の国広富之さんがいて、「こんな男前がいるんじゃ、東京でもどうしようもないな」と感じたこともあったそうです。
芸名は天知茂が命名
宅麻伸という芸名を付けたのは、恩人の天知茂さんでした。
日刊ゲンダイのインタビューによると、本名の「詫摩」の「詫」から「言」を、「摩」から「手」を取って「宅麻」とし、「伸」はデビュー作『新・七人の刑事』で主演していた芦田伸介さんから取ったのではないかと話しています。天知さんは半紙に墨で「宅麻伸」と書いてくれたそうです。
ファンから「“たくましい”をもじったんですか?」という手紙が届いたこともありますが、本人は「そうじゃないと思います(笑い)」と答えています。デビュー作は資料によって1978年とも1979年とも紹介されています。
天知さんはその後、くも膜下出血で亡くなりました。宅麻さんがまだ30歳になる前のことで、「これからいろんな話ができるという時だったので残念でした」と語っています。七回忌の頃、天知さんのそばにいた殺陣師から「天知さんは『宅麻みたいなのが化けるんだ』っていつも言ってたぞ」と聞かされ、とてもうれしかったと振り返っています。
宅麻伸の学歴についてまとめ
- 宅麻伸さんは岡山県玉野市出身で、本名は詫摩繁春
- 中学卒業後すぐに地元の三井造船の造船所に就職した
- 働きながら4年制の定時制高校(現在の玉野市立玉野備南高校・造船科)に通った
- 造船所では、設計図を見ながら鉄板に実寸を書き込む「けがき」を担当した
- 大学には進学しておらず、最終学歴は定時制高校の卒業
- 卒業を前に職場の先輩から「役者とかモデルとか目指さないの?」と言われた
- 4月に上京し、池袋のキャバレーで住み込みで働いた
- 昼ごはんの店の人の紹介で天知茂さんの事務所に入り、芸名も天知さんが付けた
宅麻伸さんの学歴は、大学や俳優養成の専門学校とは無縁のものでした。造船の町で働きながら学んだ4年間と、先輩のひと言から始まった挑戦が、二枚目俳優・宅麻伸の原点です。
「辞めるのは簡単。だからこそ、何事もとにかくまずは続けてみること」。宅麻さんのこの言葉には、勤労学生として4年間を走り抜いた経験が生きているのかもしれません。
